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Our Whereabouts 往復書簡

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サードブロガーいぬじん氏と、テンポラリー育休ニートぺりおとが、お互いの小確幸を綴る往復書簡。 ※記事内のマガジンへの固定リンクはユーザー名変更により、デッドリンクなってしまってま…
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往復書簡

往復書簡というものを書いてみるのも良いかと、旧知の仲のいぬ氏とやってみることにした。コールアンドレスポンスに必ずしもならずモノローグになるかもしれない。大事なのは触発されて言葉が紡がれることであると思う。決して、対話でなくても良いと個人的には思う。 タイトルは往復書簡とともにWhereaboutsという単語を入れてみた。あまり知らない単語だったのだが、「居場所」で検索したらこの単語に当たった。雰囲気があるし、知りそうで知らなかった単語なので使ってみた。これから続けて使用する

Maybe you’re the same as me We see things they’ll never see

レスポンス書簡。 どこか、勝手にいぬ氏がクリエイターには憧憬を持ち続けていたのではないかと思っていたことを告白しておく。やり口はいろいろと違えど、結局全てはつくることに関わる活動≒クリエイティブということと考えているのだろうと思っていたので、古臭くいえば、なんでもクリエイティブという手口ニュートラル的に創造活動をしたいのだろうと。まあ、もちろん創造のプロセスを促進(ファシリテート)することもクリエイティブ活動であるとは思う。 とはいえ、俺の中ではやはり個人でクリエイション

肩書きについて書こうと思ったけど、日常がたりでだいぶ長くなってしまった(星野源とユーグレナ篇)

書簡を貰ってからしばらく返信があいたが、そのあいだに、計算高い星野源ライブを見たり、ある企業の個人投資家説明会というのに出てみた。往復書簡ゆえ簡単に報告する。(と書いたが、書いてみて結構なボリュームになってしまった) 星野源ライブは一言でいえば自然体を大規模のなかでやるというものだった。服装、演出、MC、もろもろが自然体。終始パーカー姿の源氏だった。とはいえ、演奏はリッチ。バンド+弦楽器、管楽器、ダンサー入りでコスト高な感じのメンバーであった。かけるところにカネをかけていて

俺の屍を超えるも超えないもない。決めるのはその人だけ。

週末は弔事に出ていた。身内に不幸があり、通夜、葬儀とお別れの場であったのでお返事が遅れた。自分自身も数年前に続けて祖父母を亡くしてそのことを思い出した。今の自分は寄り添いとかそういうこと、人から言われても説教がましくしか聞こえないのだが、ただただ、役割を果たそうとした。私がメインの場ではないので、ただそこにいるだけ。それも意味があることではないかなと考えている。 さて、今回はこんなお尋ねをいただいた。 それで、ぺんぎん氏に聞いてみたいのは、これからの世界は、そうやって好き