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ネガティブ思考を受け入れる~note4日目~

私の最寄駅までの道のりには、一本の踏切がある。なんも変哲のないただの踏切なのだが、朝の急いでいる時間帯にこれに引っかかれば一大事。運が悪ければ、朝の貴重な3分を無駄にする。この3分は、されど3分で、終いには電車に乗り遅れるなんてこともよくある。そんな踏切を運よく待たずに渡れたのにも関わらず、私はこんなことを考える。

『きっと帰りは、この踏切に引っかかるんだろうな』

私は何を隠そう、生粋のネガティブ人間である。ただ、正しくはネガティブ思考人間である。しかし周囲には私のことをポジティブな人だと認識している友人や知り合いも少なくない。これは何も私が周囲に自分を無理して偽っているわけではない。全ては、私が『計画的に』そう生きているのだ。

『ポジティブに生きた方が人生は楽しい』

こんな言葉を誰しも一度は聞いたことがあるのではないだろうか?私は、この考え方が好きでなかった。ポジティブ思考を推奨するHOW TO本やネット記事を読むたびに、『どうしてポジティブ思考は正当化されるのか?』『ネガティブに考える自分は間違っているのか?』こんなことを考え、自己嫌悪を防ぐための自己防衛のような言い訳を頭の中で必死に探していた。

しかし、その一方で単純に疑問でもあった。『なぜ、ネガティブ思考は受け入れられないのだろうか?』こんな問いを私は長らく持っていたのだが、答えは意外にも身近なところに転がっていた。

昨年の年末から私はYouTubeチャンネルにハマっていて、コロナの自粛時期にも毎日のようにYouTubeを視聴していた。その中で、あるユーチューバーのチャンネルを視聴していた時のことが印象に残っている。企画の内容としては、最近会ったムカつく女について話すという趣旨だったのだが、驚いたのはコメント欄である。3か月ほど前にも同じような企画内容で話していたのだが、その時のコメント欄とは内容が一転していた。

『人の悪口ばかり言って気分が悪い』『最近調子乗っていていやだ』

こんなマイナスな言葉ばかりがコメント欄を埋めていた。3か月前の同じような企画趣旨のコメント欄は、共感の嵐であったのに。このユーチューバーのネガティブな考え方の本質は変わっていないはずなのに。どうしてこんなにも周りの対応は変わったのか。確かにこのユーチューバーは短期間で、チャンネル登録者数を大きく伸ばしていたが、それにしてもこんなに大きく周りからの反応が変わるものなのかと驚いた。私は単純に疑問に感じて、考えてみることにした。

そして料理をしながら考えていると、ハッとした。

『あっ包丁と一緒だったのか。』

そんな飛躍したことを口にしていた。しかし事実として、このユーチューバーへの疑問とネガティブ思考が受け入れられないという疑問の答えは一致した。ネガティブな言葉は包丁と一緒なのだという結論に達した。

もし街中で包丁を持った通り魔に出くわしたら、誰だって逃げようとすると思う。それは、誰だってその包丁が自分の方に近づいてくることが怖いし、自分の身を守りたいと思うからだ。その一方で、相手の持っているものが、自分ももらえば幸せになることができる花であったらどうだろうか。例えば結婚式のブーケトスの花束である。私は実際に結婚式に参列したことはないのでその光景を見たことはないのだが、そんな幸せなものであれば、『自分にめがけて投げてくれ。』そんな風に思うのが人間なのではないだろうか。そう、幸せの花こそがポジティブな言葉である。

つまりは、人がネガティブな言葉を嫌い、ポジティブな言葉を好む理由は、全てその言葉が自分に向かってくることを想像しているからなのだと思う。自分も傷ついたり、マイナスな気持ちになったりするような可能性のある言葉は、それだけで十分脅威的なのだ。だから、ユーチューバーの件にしても知名度が上がり、磨きのかかった凶器が次は自分に飛んでくることを恐れ、批判的なコメントが集まったのかもしれない。

そう自分の中で答えが分かったとき、自分の生き方についても結論が出た。『ポジティブ変換器になろう』と。いくら発言はポジティブが好まれようと、思考自体は自由なのだ!だからネガティブ思考は変えずに、アウトプットだけポジティブにしてみようと決めた。実は既に無意識的に実践していたことではあるが、以前は思考も含めてポジティブになろうと試みていた結果のポジティブ変換器であった。

そもそも思考方法はそんな簡単に変えられないし、大前提として私はネガティブに考えることをそこまでマイナスにとらえてもいない。先ほどの理論で考えるなら、ネガティブ思考は自分に包丁を向けている状態と考えられるのかもしれないが、私は包丁の収納の仕方を知っている。ネガティブ思考との付き合い方を知っているのだ。変に期待しない分、努力を惜しまないでいられるし、マイナスの出来事に対しても落ち着いて対処できたりして、結構気に入ってもいる。だからネガティブ思考を変えたくないというのが本当の気持ちだ。

でも、アウトプットはポジティブである方が言葉を受け取った人が幸せになるのであれば、私もその方が嬉しい。そう考えてから、私は『ネガティブ思考ポジティブアウトプット人間』として自信をもって生きているが、これがなかなか楽しい。自分のネガティブな思考性を否定する必要もないし、ネガティブな思考をしてしまう人に対してはポジティブな言葉に変換して勇気づけることだってできるのだ。尚且つ、元からポジティブ思考でもないから、ネガティブ思考の人の気持ちを理解することもできる。なんと楽しい生き方なのだろうと心から思う。

もちろん、始めからいとも簡単にポジティブな言葉への変換ができたわけではない。上手く変換できない時もあるし、時間だってかかるときもある。まだまだ練習中の段階である。それでも、ネガティブ思考に劣等感を感じて変えるより、ネガティブ思考を受け入れて、アウトプットの方法を変えてみる方が楽だと思った。もし今、ネガティブ思考で苦しんでいる人がいるなら私は迷わずこう伝えたい。『ネガティブ思考で楽しく生きよう』と。




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