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中指を立てないで生きていく~note3日目~

『どうして人に中指を立てたらいけないんだと思う?』

そう先生が問うとある生徒は答えた。

『相手が嫌な思いをするからです。』

また違う生徒は続けた。

『相手が嫌な思いをしなくても、失礼だからです。』

すると先生はこう答えた。

『それもそうだ。でも、先生はこう思う。他の四本の指をわざわざ折り畳んでまで、五本の指の中で一番長い指を相手に強調しなければいけないほど自分が弱い存在であると認めていることがいけないんじゃないかなぁ。』

確かこんな会話文だったと記憶している。本当に先生と生徒だったか、もしかしたら師弟関係だったかもしれない。実は私は、この会話文をどこで見たかも正確には覚えていない。おそらくは大学受験に向けて勉強していた頃の現代文の模試か、あるいは入試問題の中で見たと記憶している。

私は小説が子供のころから好きだったから、入試に合格するために読んでいた文章でも、読みながら『へぇ~、面白い』なんて生意気にも良く思っていた。しかし今となっては、何を見てそんなことを思っていたのか。主人公の名前やセリフ、場面すら、1つ残らず綺麗さっぱりに忘れてしまった。そもそも趣味の読書と違って、目的が違うのだから無理もない。

しかし、先ほどの文章だけは違った。読み進めながら最後の一文が妙に目に留まって、なんとなく、いや本能的に二度見してしまったことをよく覚えている。当時の私はもちろん人に中指を立てたことなんてなかったのだけれど、それでもなぜか自分のことを名指しされたような気持ちになり、心に重い鉛の塊でも喰らったかのような、ずしりと重い感覚が残った。

当時の私は、まさに『中指を立てて生きている』人間であったのかもしれない。当時はそんな自覚は全くなかったけれど、受験のストレスやプレッシャーからそんな風に生きていたのかもしれないと思う。それは何も物理的な意味ではない。それでも誰からも見えない中指を立てて、他の指を丁寧にしまって、自分の価値を見出そうとしていたような気がする。暗闇の中で見えない一寸の明かりを探すかのように。まさにその方法が、当時の私にとっては中指を立てることだけだったかのように。

最近、『中指を立てない生き方』について考えることがよくある。結局何をあの文章は言いたかったのか、どう生きることを正解だと伝えたかったのかと考える。もちろん前後の文脈は覚えていないから、本当の正解なんてわからない。それでもなぜか、考え抜かなくてはいけないような、そんな気がした。それで、なんとなくではあるが、最近自分の正解に最近たどり着けたような、答えの片鱗を手に取れたような気がしている。

『中指を立てない生き方』とは、とどのつまり、『周りを蹴落とさない生き方』なのではないかと私は考えている。周りを悪く言うことでしか、はたまた環境や周りの人のせいにすることでしか、自分の価値を見出せない。そんな自分で頑張ることを諦めた人間にはなるな!!というメッセージだったのではないかと思う。要するに、周りを蹴落として周りより優れた人間になるのではなく、ひたすらに自分を磨いてオリジナルで秀でた自分を目指せというメッセージだったと私は解釈している。

そう解釈すれば、あの時の自分の心にこの言葉が刺さった理由も腑に落ちる。私は、自分の受験する大学名のネームバリューや偏差値を異様に気にしていた。『周りの人から、この大学名はどんな印象を持たれるか。馬鹿だと思われるだろうか。』『ボーダーラインは、あの大学だろうか。』そんなことをいつも考えてしまっていた。その一方で、人から大学名で評価されたくない。大学名で自分の価値を決めてほしくない。なんて矛盾したことも思っていた。それでもやはり、自分がどう頑張るかよりも自分がどう評価されるかばかりを気にしていて、周囲と比べた優位性を欲していたのだと思う。まさに、当時の自分にぴったりの言葉だったんだと感じる。

さて、またふと思う。私は今『中指を立てない生き方』ができているのだろうか?

結論から言えば、私はまだ『中指を立てない生き方』の真ん中なのかもしれない。誰かと比べて優位に立っていたいなんてことは思わなくなったけれど、それでも周りと比較する必要のないほどオリジナルに秀でた自分になるための自分磨きは、簡単じゃない。

大学に入って気が付いたことは、結局は『どの大学に入るかではなく、その大学で何をするか』という当たり前といえば当たり前のことだった。だから、興味のあることはとりあえず全てやった。サークル、アルバイト、長期インターン、派遣スタッフ、ボランティア、国際寮のイベント運営、研究活動、旅行、飲み会。本当に色々なことに挑戦した。自分自身のスキルの低さに葛藤した時もあったし、人間関係に悩んだ時もあった。自分自身がしんどい気持ちの時ほど、周りにせいにしたくなる時も沢山あって、実際そうした心当たりもある。でも、そんなのは長くて大抵数日程度。すぐに自分の未熟さに気が付いて、恥ずかしくなった。結局はいくら周りを下げたり、環境のせいにしたりしても、自分自身が努力して目標にたどり着こうとしなければ、なりたい姿になんてなれない。どう足掻こうとも、この事実は変えられないのだから、努力したほうが早い。そう思い知らされる。だから、私は辛くても大変でも、その葛藤の中にいたい。そして未熟な自分との葛藤や、挑戦と挫折の日々の中で今日も思う。私はやっぱり、『中指を立てない生き方』をしたいと。




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