インスタ映えに心踊る自分も認めてあげたい。
「インスタ映え」
良くも悪くも、「写真」という私の趣味の在り方を変えた言葉。
そう思うきっかけになった、とある休日の話。
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その日は、流行りがぎゅっと詰まった、渋谷のど真ん中にあるお店で
お手本みたいなメロンソーダを久しぶりに飲んだ。
地方出身の私にとって、少し眩しくも感じる流行りのお店たち。
いつも混みあっているお店を覗いてみるも、インスタ映えに乗っかることに何だか引け目があって、気づいたら足が遠のいていた。
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大学生の頃は、Instagramを更新することが大好きだった。週に3〜4回とまあまあな頻度で投稿していたと思う。
「ここに行ったらいい写真が撮れそう!」という原動力で行き先を決めることも多かった。
ただ、社会人になって休みの日に外出することが億劫になると、誰かの充実感でキラキラしたInstagramは嫉妬や劣等感の巣窟になり、アプリを開く頻度がぐっと減った。
インスタ映え=ネガティブな風潮も後追いし、食事中に写真を撮ること自体が良くないんじゃないかと、カメラを向けることすら遠慮するように。
たまに撮ってみると
「めっちゃこだわって写真撮るじゃん(笑)」
と言われ、そんな自分を恥ずかしく思うようになってからは、インスタ映えを狙っているであろうお店に行くこと自体を控えるようになっていた。
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そんな中「せっかくの平日休みだから、流行りのお店に行ってみようよ」と友人と立ち寄ったのが今回のお店だった。
綺麗に撮影されたメニュー表から選んだのが、Instagramでよく見かけるお手本みたいなメロンソーダ。
メロンソーダが飲みたかったかと言われると、そういうわけじゃない。
ただ、この空間を自分の思い通りに切り取って満足したかった。
「この感じ、懐かしい。」
可愛らしく盛り付けられたメロンソーダを、綺麗に撮影するのは楽しかった。
そう思うと同時に、
「見栄えにこだわり、視覚だけでも楽しめている自分」も肯定してあげたくなった。
写真を撮りたい、SNSにアップしたいという欲求だけで動くことは恥ずかしいことなんかじゃない。
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あそびの大学を始めて、趣味に関する相談に乗るなかでも
「見た目だけ楽しんで満足してしまう自分」や「写真を撮ることで、体験を消費している自分」に対して、
違和感を持ち、相談してくださる方にも沢山出会ってきた。
違和感があるということは、重要なサインだから、楽しみ方自体を変えるというのも一つの方法だと思うが、私は「こだわって写真を撮ることに心が踊る」という感情自体を肯定してあげたいと思う。
割り切って、視覚的に自分を満足させてあげられるあそびを楽しんだらいいんじゃないかな、と。
人目が気になるなら1人で赴いて、納得いく1枚が撮れるまで徹底的にこだわることに重きを置く。
事前にSNSで、同じ場所や似たような構図で撮影している写真を沢山見て、「理想」を膨らませておき、その通りに撮る試行錯誤や思い通りになる達成感を楽しむ。
写真を撮りに行きたいお店だけが目的地にならないように、前後の過ごし方や訪れる場所を工夫する。
私も自分が視覚で満足する傾向があるということを掴んで、受け入れられたことで、選ぶ趣味やあそび方が変わった。
一軒家にDIYしながら住んでいるのもその工夫のひとつ。
毎日見るものを自分好みにカスタマイズできるし、大好きなうつわのコレクションも気兼ねなくできる。
Instagramを見てビビッときたお店には、こんな感じで写真を撮りたい!って気持ちだけで足を運ぶし、SNSの更新も再開して、撮った写真は必ずUPする。
あそんでいる時くらい、誰かの声じゃなくて、自分の声を一番大切にしていい。
「満足のいく、綺麗な写真を撮りたい」
そんなシンプルだけど大切な、一つひとつの感情を取りこぼさないように向き合っていきたいと感じた、とある休日の話。
あそびの大学 すげの
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