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効率的とは
仕事は効率的にやろう!と言ってくる人がいます。しかもかなり大勢。概ね同意できるのですが、たまに疑問を持つことがあります。
この仕事の効率化が全体の利益を産むような効率的な作業なのか?と。なんでもかんでも目先の効率ばかり求めて、全体的な効率化が図れていないことは少なからずあると思います。
例えば、折り紙で鶴を作る作業があったとします。毎日300枚折ることがノルマです。その作業を人に月20万でやらせて300枚折らせたとします。たまに250枚しか折れない人が出てきて、その人を教育し効率的に折らせ、鶴を一日300枚折れるように育てます。これは効率化したと言えるのでしょうか?
もし1日に300枚鶴を折ることができる機械を導入したとします。すると元々鶴を折っていた人は何か別のことができるようになります。機械の導入やメンテナンスで100万円ほどかかったとしても、人の5ヶ月分の給料で安定した鶴の供給が可能になります。
鶴を折っていた人を解雇することで、安定した「鶴の生産」を獲得することができます。こちらの方が効率的な気がします。
人がいらないといいたいのか??そういうわけではありません。余った人には別の仕事を与えたらいいのです。鶴を折っている機械の監視や、折れた鶴の完成度を審査する人になればいいのです。そうすれば、5人雇ったとして、全員を鶴折りに割くよりか、それぞれ鶴折りの管理、鶴折りの営業、鶴折りの研究などなど、様々な仕事分担ができると思います。
そのため、効率化を図るときには、まず効率化してどういったメリットがあるのかを明確にし、その重要性についてを考えるほうが大切なのかもしれないと思いました。
理由がわからないというのは、本当にわかってないのか
今朝、夢を見ました。その夢を思い出しながらふと思ったことがあります。
夢の話をあたかも自分の操作が効かないような話し方をする人がいるけれど、本当はそうじゃない可能性もあるのではないか、と。
夢を見ていると唐突に空から落ちていたり、犯罪者から追われていたり、迷路に迷ったりすることがあります。夢の中で起こっていることに関しては自身の気持ちなどは反映されません。ですが、判断自体はかなり明確にできている気がします。
他の人も同じような夢の見方であれば、夢で自身の意思決定ができる可能性が考えられます。
一方で、夢を見た話をしている人で「なんでかわからないけど、走らなきゃって思ったんだよね」と意思に反して行動をしてしまったような話し方をする人もいます。
「わからない」行為に対して、理由を忘れた場合や自身の行為に対して理解が追いついてない場合もあります。ですが、行為の理由に対して話の中では敢えてぼやかしておこうと考える人もいると思います。そちらの方が、話が面白い場合もありますし。
本当に行為の理由がわからないのか、理由を隠しているのかは他者には分かりません。そこがやはり他者理解への大きな壁だと思います。無意識の隠蔽が解決できない場合、どこまでいっても人への完全な理解は遠いように感じます。
動画配信サービス
動画配信サービスのおかげで生活の自由度がかなり上がったという話。
最近はサブスクで動画配信サービスを利用している人が増えている気がします。かくいう私もかなり利用しています。
この動画配信サービスのおかげで観たいときに観たいものが観られるようになりました。前までは録画しないといけなかったり、テレビの前で観なければならなかったものが、スマホ一台で好きな時に観ることができます。
なので、ドラマや映画を見逃しても後で観ることができます。最近の会話は情報のリアルタイム性があまり重視されておらず、情報を入手したときにその情報について話すことが多い気がします。無理して決まった時間に決まったものを観なくていいという自由を手に入れたのです。
また、観たいものの優先順位を決めて、それほど観なくてもいいものを後回しにできることもいいです。後回しにすることで、時間がない場合には観ないという選択もできます。今までなんとなく観ていたものに割く時間を別の興味のある時間に割くことができます。
コンテンツ消費の自由度が上がることによって、消費に関する強迫観念が消え、ゆったりと生活ができるようになりました。そのおかげで、今やることに理がある「勉強」により集中できる環境が整った気もします。
私が生きることができるようになります。