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記録する134
キュビスム展
上野にある国立西洋美術館で開催中の「キュビスム展」に行きました。
パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックの絵が多かった印象です。最初はセザンヌの絵から入って、終盤はコルビュジエの絵などもありました。キュビズムの影響を受けたモンドリアンの作品もあるかなと思ったんですけど、意外となかったです。
14章構成でなかなかボリューム観のある展示でした2時間くらいいたんですけど、それがあっという間に感じるくらい面白かったです。もしかしたら、単純に私が今日は元気だっただけかもしれません。どちらにせよ、キュビズム初期の絵から1920年代までを代表する画家たちの絵がたくさん展示してあり、楽しかったです。
この展示をみながら思ったのは造形手法のコンセプトがかなり明確な作品達だなと感じました。最近のコンセプチャルアートは、伝えたいことなどのコンセプトがあって、そのコンセプトをさまざまな手段で伝えている感じがあります。ピカソやブラックのコンセプトは「キューブや色の変化でモノを表す」に近いと思いながらみていました。展示会のキャプションを借りると“色調をグレーや褐色に限定し、対象の形を、陰影のついた細かな切子面に分割して表す”ことをコンセプトとしていると受け取りました。何かを伝えたいというよりかは、どういった手法があるかの追求したいみたいな思いが強いと感じとりました。
オラファー・エリアソンも表現についての研究をしていまいしたが、その研究とは違うなと思いながら観ていました。オラファー・エリアソンよりも表現手法の追求におもきをおいた作品が多いイメージです。オラファー・エリアソンは芸術体験とはどういったものなのかの追求をしているイメージです。そういった違いにアーティストとしての違いを感じました。
今更ですが、コンセプチュアルアートという概念が誕生したのも不思議な話です。モノを造るときにコンセプトがない方が珍しいです。コンセプトを押し出した芸術作品も以前に沢山あったはずです。コンセプトがない作品を作る方が難しいので、なぜコンセプチャルアートというカテゴリーができたのか不思議です。
ヨーゼフ・ボイスのインスタレーション・アートの良さがまたじわじわと感想の中に侵食してきそうです。ただ国立国際美術館で観て好きになっただけなんですけど。割とずっといいなと思っています。また観たいですが、最近はモネとかゴッホとか印象派ばっかりですよね。現代アートも観たいものです。
絵を描くことと記録
私は記録としての創造物が好きです。
記録をするために絵を描く。記録をするために文章を書く。記録をするために写真を撮る。こういった行為が好きです。
これだとあまりにも創造物の定義から逸脱した物も、創造物と言ってしまうのではないか、と疑問に思ってしまう人もいるでしょう。しかしながら、記録でも創造物と言われることもあるので、間違っていないと思います。
創造の度合いは違えど、一応創造物認定しています。創造物ではないと思われれば、それは創造物じゃないかもしれないくらいのゆるさでも問題はないと思います。人それぞれ創造の定義が違うので。
記録用創造物が好きなので、なぜ記録をしたのか、何を残したかったのか、どういう手段で記録したのかについての話を聞いたりすると面白いなと思います。ある一つの物を見ても、感じ方や表現の仕方が変化することに面白さを感じます。
世界の見え方が違うことが、私の中での面白さにつながるのかもしれません。その記録たちをみながら、私も残したいものを記録していく生活をしたいなと考えることを繰り返しています。
創作物を残すとことが目的なので、絵の上達や書くことの上達はあくまで手段であることを忘れてはいけないなと思いました。、
私が生きることができるようになります。