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新海誠作品を見た

今話題の映画を観ました。新海誠が監督をしている「スズメの戸締り」です。この作品を見ながら私はずっと「みみず」って何?と思っていました。

簡単にいうとみみずは地震を起こしている存在でした。

それがあまり腑に落ちなかったんですよね。

地震って地殻変動で起きてるわけで、何かの因縁とか、因果とかの問題で起きてるわけではないよな。と思っていたのです。ナマズが地震を起こしていた、みたいな迷信と似た雰囲気を感じて、地震に対する解釈違いかも、なんて思っていたりしました。

地震を起こしている「みみず」が存在していたとして、なぜ地震を起こすのか、みたいなことを考えるんです。でも地震はどうやったって人が何か悪い行いをしたから起きているような概念じゃないんですよね。

少し話を横道にそらして、同監督の作品である「天気の子」について考えてみます。ちなみにこれもスズメの戸締りについて考えるために観ました。

天気の子では天気を変えられる巫女的存在が現れます。巫女的存在が願うと晴れるシステムが構築されていたのです。

いわゆる天気のリスケしてる中間管理職です。中間管理職なのでハードワークです。命を削っているのです。自身の命を削り、贄となり天気を変えるのです。

その中間管理職が天気のリスケに耐えかねて、他の有能な人に天気の管理を譲ると正常な天気に、譲らないとずっと雨。みたいな話でした。

たかが数時間晴れにしたくらいでぐずついた天気が続くっていうのも理不尽な話ですけど、設定自体に無理はなかった気がします。

それに対してスズメの戸締りのみみず。

おそらく、土地を開拓したのに人がいなくなった場所に怒り狂うみみず(土地の神的存在)に土地を返して地震を鎮めるような設定だと思います。

「お返し申す」で土地を返すのは分かります。ただどうしても地震と結びつきません。

戸締士の出現と地震の関係ってどうだったんでしょうか。考えてみます。

みみずの存在によって戸締士は出現しました。というより人の存在によってみみずが出現し、戸締士が出現したのかもしれません。ただそれだと、人がいないと地震が存在しなくなってしまうので、やはりみみずの存在が先でしょう。

みみずが存在し、人々の土地開発によりみみずが暴走化。その暴走を止めるために戸締士が出現。これが妥当かもしれません。一方で自然発生するものを抑圧しようとする人為的な力も不自然なので、戸締士の存在がむしろ状況を悪化させている気もします。

土地の神的な存在が、元々あった土地を荒らされて、荒らされたまま返しても許さないと思います。

例えば、もともと持っていた部屋があって、その部屋を何日か人に貸して、全く違う状況になっていたら寧ろ腹が立ちますよね。持っていた羽毛布団のふとんカバーが変わっていただけでも嫌です。借りたものを返すなら少なくとも綺麗に返してほしいものです。変な状態で返却された土地をみてしまうと、より一層地震が起きてしまう気がします。

そういったことを考えているとやはりみみずの存在が不自然です。考えればちょっと辻褄が合いそうで、絶妙に噛み合いません。新海誠とやはり地震に対する解釈違いが起きているのかもしれません。

私が生きることができるようになります。