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この時代を生きた経験値
連日の報道を見ながら、改めて、凄い時代を生きているなあ…と思った。
勿論、長い長い歴史上、世界を揺るがす出来事はこれまでも幾度となくあっただろうけれど、
それでも少なくとも、今のコロナ騒動も歴史に刻まれる大きな出来事であることは、間違いない。
良いか悪いかは、今は敢えて置いておく。
どんな出来事であれ、起こってしまったものはどうしようもない。
悲しんだり怒ったりすることで、その出来事が無かったことになるわけではない。
けれど何かが起きたとき、自分の中には必ず、何かしらの『経験値』がプラスされると、私は思っている。
私の息子は、6年前に交通事故で重傷を負った。
中でも顔のダメージが酷く、元には戻せないと言われたときは、ただ泣くことしか出来なかった。
息子も私たち家族も、その事故によって苦しい思いを沢山したし、6年経った今もまだ片付いてはいない。
その間に不眠やパニック障害や鬱など、まあ様々なメンタル疾患も患ったし、今も尚通院中だ。
けれど時間が経つにつれ、少しずつ私自身も、事故の記憶をやや俯瞰で見られるようになってきた。
事故に関しては、起こらなかった方が良かったに決まっている。
でも起こってしまったものは仕方がない。
加害者に対して怒れば怒るほど息子の傷が癒えるのなら、私はいくらでも怒っただろうけれど、そんなこともない。
大切なのは怒りや憎しみの感情ではなく、息子の事故で何を学んだか、ということだ。
・どんな人でも、少しの気の緩みで加害者になり得るということ。車やバイク、自転車など、運転者なら誰でも加害者になる可能性がある。
・大きな怪我をした分、治療に当たって下さった主治医の先生及び看護師さんたちのケアが、本当に心強いものであったこと。
・長い入院生活の中で、様々な病気と闘う子供たちの強さを知ることが出来たこと。
・(これはあくまでも、うちのケースにおいてだが)加害者も、我々被害者とはまた異なる苦しさを、背負っていかねばならないのだと気づけたこと。
・健康や当たり前の日常の有り難さを、改めて実感出来たこと。
挙げていけばもっと色々出てくるだろうけれど、これらは全て、私の人生において確かな『経験値』として刻まれている。
何故こんな思いをしなくてはならないのか
↓
こんな思いをしたからこそ、得たものもあるはずだ
この考えにシフト出来たことで、その『経験値』にも気づくことが出来た。
人生には、山も谷もある。
けれど無駄な出来事なんてきっと一つもなくて、そこからどれだけの『経験値』を掴み取れるかは、自分次第だと私は思っている。
だから、今のコロナ騒動が終息した日には、この時代を生きた我々にしか得られない『経験値』が必ず待っているはずだと信じて、乗り越えたいと思う。
自粛中の生活でしか得られない『経験値』だって、探せば沢山あるはずだ。
ちなみに私は、長年放置していた自室のクローゼットを整理したので、恐らく『収納力』が1くらいは上がっていると思う。
いのちだいじに!
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