ちゃんと話を聞いてもらえる機会は、実はそんなに多くない
「相手の目を見て話を聞きましょう」
背筋のピンと伸びた、細身の研修講師の方が、私たちの目を射貫くように見ながら語りかけました。
いわゆる管理職研修というもので、最初に始まったのは「傾聴」のトレーニング。とにかく相手のことをちゃんと聞くという練習です。
「会話は対等に。参加者が同じぐらい喋るように」
そんな話を聞きながら、確かに今の世の中に一番必要なものは「聞いてくれる人」かもななんて思い始めました。
「分かっている」という錯覚
最初の休憩が入った時に、営業部の参加者の方と話したのですが、ちょっと苦笑気味。
「今さら研修する内容かね」
「確かに、新人研修のような感じがしますね」
「相手の話が大事なんて、営業じゃ常識だからさ」
「話聞かない営業なんて、営業できませんからね」
「そうそう。研修で教えられることじゃないんだよ」
何てひとしきり悪態をついて研修に戻ると、開始早々に穏やかな口調ながらも鋭い視線で、講師の方が口を開きます。
「導入を聞いて、簡単だなと思った方が多いかもしれません」
多くの方がそう仰るのですと続けて、
「でも、その「分かっている」を捨てることが一番大切なのです」
と、ぴしゃりとやられてしまいました。
なるほど、話を聞くにあたって、一番の敵は「分かっている」という感覚である。その通りだと思います。
聞くために一番必要なもの
これは私の経験ですが、話を聴くために一番大切なことは「興味」だと思っています。
相手が話すことを、ただただ食い入るように聞き入ること。それが一番話を「聞いている」状態です。
その興味の出所は好奇心です。何か新しいこと、面白いことを探す気持ち。そんな好奇心が強い人は、少しの話の中からでも新しいことを見つけます。
昔お世話になった大学の教授が、好奇心の塊のような人でした。
教育の一環として、その教授と一緒に工場見学に行ったことがあるのですが、質問の嵐なのです。
「あの地面の線はなんで引かれてるのですか」
「どの機械が一番のカナメなのですか」
「最近、人の採用に苦労していませんか」
どれもが、まさに苦労しているところだったようで、案内して下さった方がよくぞ聞いてくれたとばかりに、嬉しそうに答えて下さっていました。
それを見て、教授にまでなる人は、好奇心の量が段違いだなと、ただただ関心したものです。
毎日触れているものは、分かった気になってしまいます。そして、分かろうとしなくなってしまうものです。
まずは、「分かっている」との錯覚を捨てること。相手に心からの関心を寄せること。それが、聞くことの第一歩だと感じた経験です。
話を聞いて欲しい人だらけだ
実は世の中は話を聞いて欲しい人で溢れています。SNSで日々多くの発信が生まれるのも、誰かに話を聞いてほしいからです。
それは、逆に言えば、世の中で話を聞いてもらえる機会があまりにも少ないからではないでしょうか。
ちょっとした心の動きを。些細な発見を。それらを気兼ねなく伝えられる人。ちゃんと聞いてくれる人。そんな人は多くないのです。
そして、それは自分もそうなのでしょう。誰かの話を聞いているようで、実は聞いていない。
それは「もう分かっている」という錯覚かもしれませんし、不足している「興味」なのかもしれません。
「上手な返しをする必要はありません。ただ、聞いて下さい」
研修の中で一番耳に残っている言葉です。上手に返そうとする。それだけで、興味は自分に向いてしまい、聞く姿勢から遠ざかってしまいます。
身近な人であればこそ、ただその声に耳を傾けなきゃなと。皆、話したいこと、話せなかったことがたくさん心の中に秘められているのですから。
などと、研修を受けながらぼんやりと考えていたら、おっと講師の方が何を言っていたか、分からなくなっていました。
本当に、聞くことは難しい。
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