文章が上手いかは、プラモデルがスキか、レゴブロックがスキかの差ではないか
「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉を見て、さすがだなと思うのですけれども、経済学って何故かこんな表現が多いのです。
「共有地の悲劇」とか「神の見えざる手」とか。昔の経済学者は詩人だったのではないかと思うくらいのレパートリーを見せます。
こんな言葉を見ると、頭が良い人は説明が上手ながと思うわけで。そして、その違いはタイトルにもあるように、考え方の性質の差だと思っています。
プラモデルとレゴブロック
学校の授業では一通りの知識を教えてもらえます。そして、その再現性をテストで試し、再現できれば良い点数が付く。つまりは、そういう教育です
長い歴史をかけて出来上がっている方法なのだと思うのですが、こと文章に限って言うと、もうちょっと他のやり方があるのではないかなと思います。
というのも、夏休みの宿題で読書感想文を書かされたのですが、本当に書けなかったのです。あんなに授業をちゃんと聞いていたのに。
今になると、それは与えられたプラモデルを作り続けていたからではないかなと感じます。
プラモデルは、与えられたパーツを組み立てると必ず同じものが出来上がります。そのように設計されているものなのです。
ですが、文章で求められるのは、同じものを作るというよりも、組み合わせることで自分を表現することであると感じています。
つまり、レゴブロックです。自分で必要なパーツを持ってきて、それを組み合わせて自分の望む形を作り上げる。
物を作るホビーという点で同じですが、性質としては全く異なる体験だと思います。
パーツを増やせるか
文章はレゴブロックだとしたら、どうすれば上手く作れるかと考えると、二つ方法があって、そのうちの一つ目がパーツを増やせるかどうかです。
レゴブロックには様々な形があります。丸や四角やその組み合わせ。色もカラフルで、半透明なスペシャルパーツもあります。
パーツを増やすというのは、つまり色々なものを作り上げることができる可能性が広がるということで、完成形の自由度に直結します。
「悪貨は良貨を駆逐する」は非常にオリジナリティがある言葉です。こんな言葉を作ることができるのは、抽象化の能力が高いからだと感じます。
何か物事を見たときに、それが何か考えてエッセンスを取り出すことができる力。その抽象化の力が高い人が、パーツ作りが上手い人なのでしょう。
何か物事を見て面白いと思ったら、何が面白いのか、どう面白いのか、なぜ面白いのか。そんな裏側の理由を考えることができるかなのだと思います。
組み合わせを探せるか
パーツを作っただけでは良い形は作れないわけで、そのためにもう一つの条件の、組み合わせの方法を考えられるかどうかです。
そしてこれはひとえに、課題意識によると思うのです。
パーツを増やすことは、心がければ上手になるものです。日常の中で抽象的な思考で良い言葉を生み出せる人はたくさんいます。
他方で、それをどのように組み合わせるかは、何を課題と思っているか次第でまた別の問題です。
そして、表現したいものがたくさんある人は、組み合わせの方法を多く探す必要に駆られます。そのためより組み合わせの力が強くなるのです。
例えば、恋をした時にものすごく語彙が増えるのは、相手に自分の気持ちを伝えたいとありとあらゆる組み合わせを試すからです。
そんな強烈な感情を伴う課題意識は、必要は発明の母と言わんばかりに言葉の組み合わせ力を増やしてくれるものなのだと思います。
レゴブロックを組み立てよう
世の中にはハウツー本も溢れていて、どうすれば文章を書けるかなども情報としてはたくさん出回っています。
その一つ一つを試してみることも良いことなのですが、それよりも日常で感じたことを大切にする方が効果が高いのではないかなと思っています。
なぜそれが面白いのか、何が面白いと感じたのか、どうすればそれを再現できるのか。そんなことを考えていると言葉は増えます。
そして、何か伝えたいもの、解決したいことが出来た時に、言葉の組み合わせ方は増えるものです。
そんな、パーツを創る力とパーツを組み立てる力で、文章はもっと良くなるのだと感じています。
最高のものこそ価値がある、
だから子どもたちには最高のものを
レゴ創業者の言葉です。素敵な言葉だと思います。子どもには最高のものを与えたい。全ての親の願いではないでしょうか。
そして、それは考え方、生き方だってそうなのです。強く生きられるようになって欲しい。そんなことを教えられたらなと思います。
その中のひとつに、言葉の使い方は間違いなく入るのでしょう。
ではでは。
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