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定量化の時代とデジタルの罠

なんだかもったいないねとは思います。

数字を扱う仕事を長くやってきた、私のような人間が言うのも何ですが、世の中で定量化が進み過ぎな感じがします。

定量化が進むと、比較が始まります。数字は事象を抽象化して、比較するためのものだからです。

これはデジタル化の罠のような気がしています。情報が溢れてしまった結果、もう私達は処理をしきれないのです。

デジタルとは何か

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そもそも、デジタルとは何かを見てみますと、離散量を表す言葉なんですね。つまり、物事を飛び飛びの数値で表現することです。

世界は本当はずっと繋がっています。どこまでも細かくでき、そこに終わりはないのです。

一方で、それではキリがないので、そんな世界を0と1で表そうとしたのがデジタルです。デジタルの世界では、0と1の間は存在しないのです。

0か1か。そんな間の無い、飛び飛びの数値で世界を表現することで、その処理速度は圧倒的な向上を見せています。

つまり、効率的な処理をするために、全てを見ることを諦めたということですね。それは科学の発展として正しい考え方だと思います。

そのおかげで毎日新しいnoteが創られ、それを多くの人が見ることができているわけですからね。

定量化の力

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定量化は強烈です。本来はもっとぐちゃぐちゃしている世の中を、綺麗に整えてしまいます。

典型的なのが、レストランの評価です。コスパ、料理の美味しさ、お店の雰囲気。様々な要素が数字に直されてしまいます。

ですが、本当に大切なことって、数字では分からないですよね。同じ評価3.5でも、その中にはもっと様々な要素があるわけです。

お店の音楽が良い。お店の方が優しい。落ち着く・賑やか。懐かしい味。そんな、定性的な情報はまるっと数字に変えられてしまいます。

そんな、本当は無限に繋がっている間をバッサリと切り落として、0か1かで評価する。それが、定量化の強みではあります。

定量化される経験

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一方で、冒頭のように、定量化が進みすぎな気もします。バッサリと切り落とすことが進みすぎて、大切なものまで落ちてしまっている気がします。

週末やお休みの間に何をしたかを、見た映画の本数、読んだ本の冊数で語る。お休み明けの光景です。

それはそれで1つの表現ではあります。ただ、1本の映画をもの凄くじっくり観て、色々考えたという話がもっとあっても良いはずなのです。

デジタル化、定量化の罠は、数字の追求です。数字自体が大切ではないのに、数字を目標に追うようになってしまうのです。

1本しか見てなくたって良いじゃないですか。その1本をじっくり見ることができていたならば、 そこからは極上の発見があったわけです。

もっと量ではなくて、質を追い求める動きがあって良いはずです。コスパでも他人の評価でもない、自分の感性に基づく無限の判断が。

デジタル時代での感性

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ですが今の時代、数字からは逃れられません。このnoteもスキをどれぐらい頂けるかを見ながら、方向性が求められているかを判断しています。

数字を忘れることは、デジタル化が進んでしまった今の時代、ほぼ不可能なのだと思います。現実的ではない。

なので、たまにで良いのです。たまには、数字から離れて、自分の感性を信じて、良い悪いを判断してみることも良いのではないでしょうか。

それはつまり、自分がスキかどうかということです。数字にはできないけれども、なんとなくスキ。それで十分ではないでしょうか。

自分の感覚・感性を大切にしましょう。良いと思ったものは良いですし、スキと思ったものはスキなのです。

よく引用する歌詞で恐縮ですが、私はこの歌詞が大スキなのです。

好きなものを好きだと言う 怖くて仕方ないけど 本当の自分 出会えた気がしたんだ『群青』YOASOBI

スキいう気持ちを大切に。

ではでは。


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デジタルに振れた経済が、アナログに戻って来るよねというお話です。内容自体はよくあるお話ではなるのですが、面白いのはデジタルとアナログどちらかに分けていること自体がデジタルの発想であるというものです。アナログはそんな分ける思考じゃない。確かにそうですよね。

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