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良い質問には、助言しようという意思がない

子供は時に自分の感情が抑えられなくなります。まぁ、大人もか。

外で嫌なことがあったとき。自分が思っていたように進まなかったとき。本当は悪いと思ってるんだけれども、咎められたとき。

「そんなこと、わかってる!」

そう言って泣き叫ぶ子供にどんな言葉を掛ければ良いのか。何回同じ場面に出くわしても、難しいなぁと悩んでしまいます。

質問という名の押し付け

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そんな時に「イヤだったんだよね」「本当は悪いと思っているんだよね」と聞いてしまうのは、良くないことなのかなと思っています

本によっては、うまく言語化できない子供に寄り添って、その気持ちを代弁してあげよう、なんて読んだこともあります。

ただそれは、自分の解釈の押し付けであって、本当の子供の気持ちではないのじゃないかな、と思ったりもするのです。

これって、仕事でもよくある話。仕事で一番良くないのは考えの押し売りです。そしてそれは、質問のフリをして行われがちです。

「それは悪手だと思っているんじゃないの」
「本当にそれで良いと思っているの」

これらは質問のようで質問でない、考えの押し付けです。これを言う人は、実は最初から聞く気があまりないのですよね。

このような押し付けがあった時には、その場は一見済んだように感じられますが、結局何にも解決していないことがほとんどです。

誰だって、自分の力で立てる

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忘れてはいけないのか、誰でも自分の足で立てるという事実です。それが例え疑問や質問を持ってきた人だとしても。

質問する側ができるのは、答えを探す手助けをすることだけです。本当の答えは、本人が見つけないと何もならない。

「それが出来たらどうなるの」
「詰まっているところの何が難しいの」
「今は何が足りないのだろうね」

質問する側としてはなるべくシンプルに、誘導するのではなく、思考を促せるような質問をするのが、良い聞き方です。

もちろん自分の意見はあるのです。ただ、それは出さない。相手がどう思うのか、なぜそう思うのかをうまく聞き出すことだけに注力します。

すると大抵の場合は、満足してくれて、ありがとうと言ってくれるのです。一言も私の意見の意見を言わずに終わることも多々あります。

誰だって本当は自分の力で立てるし、立ちたいと思っている。それを忘れてはいけないのかなと思います。

一番大切なことは、同じ方向を向くこと

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よく相談したのに、そんなことは大したことないと、自分の苦労話を聞かされたなんて話を聞きます。

その人なりに励ましてくれようとしているのだと思うのですが、これをやるなら最初から聞かない方が良いとも思います。

質問に一番大切なことは、同じ方向を向くことです。相手への共感を基に、理解しようとすること。二人で同じ先を見て道を進むこと。

様々な分かれ道に溢れている森で、どの道を進めば良いのかを一緒に考えること。それが本当の質問なのだと思います。

質問とは、相手に向き合うことではないのです。どの道を進もうか。どうしてそう思うのか。それを横に立って話す事が質問の役割です。

その質問は同じ方向を向いているか。本当に相手を思っているならば、押し付けや、自分の話は出てこないはずです。

本当に必要なのは言葉ですらない

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ただ相手に寄り添う。それもひとつの問い方なのだと思います。

時間を掛けていいよ。今は聞かないけれども、話したくなったらいつでもいいよ。少しずつ一緒に考えてみよう。

分かってもらえる。聞いてもらえる。そう思ってもらえることが、聞く側には一番大切なことなのですから。

そう考えると、冒頭の感情を抑えられない子供に対しては、その抑えられない気持ちを、まずは受け止めて分かってあげることが重要なのでしょう。

そのためには、言葉なんていらないのかもしれません。

落ち着くまで隣にいる。話してくれそうだったら、話を聞く。話したくなさそうだったら、黙っている。

そんなそばにいるだけの時間も、十分に良い質問になっているのではないでしょうか。

質問とは、言葉ではなく、時間の過ごし方なのかもしれませんね。


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