期待をしなくなってから、ニガ味人生を美味しく感じるようになった
「なんで分かってくれないのかね」
最近再開したばかりのお店でランチを食べながら、同僚が少しこぼします。決めたはずのことを、上司にひっくり返されてしまったそう。
言葉の限りを尽くしたにも関わらず。その時は皆で同意したにも関わらず。話をひっくり返されるなんてことはよくあります。
仕事に限らず、人生はわかってもらえないことばかりです。
友人に悩みを打ち明けても、つれない返事しか返ってこなかったり。家庭でもっとちゃんとしてよと思っても、結局自分がやることになったり。
そんなニガ味の人生への対抗策が、美味しい「だろう」と思わないことです。
期待するから辛くなる
人生で一番辛い出来事は何でしょうか。それは裏切りではないかなと思っています。
ブルータス、お前もか
Et tu, Brute?
シェイクスピアの劇中で、古代ローマ皇帝カエサルは、そう漏らします。短い「お前も」に深い絶望感が表れる、名台詞です。
ちなみに、これを今書いていて思ったのですが、このセリフは叫ばれる意図で書かれたのか、呟かれる意図で書かれたのか。
ならばシーザーもここまでか!
Then fall, Caesar!
調べてみると、後半の言葉にびっくりマークがついているので、前半の「ブルータス、お前もか」も叫ばれる意図だったのかもしれないですね。
裏切りをいっそう辛く感じるのは、ブルータスに期待していたからではないでしょうか。この人は自分のことをわかってくれていると。
ちなみに、史実では言葉すらをも遺す前に暗殺されたのではないか、とも言われています。
人に、結果に、期待しない
昔、プロジェクトで重役の方へ報告をしたことがあります。その時は3つ報告があったので、担当の人が入れ替わり立ち代わり会議室に入りました。
その重役の方は温厚な方で、プロジェクトごとに担当の人を激励して返していきます。2つ目の報告が終わって、3つ目の報告が始まる前に一言。
「3つのうち1つでも上手くいけば儲けものですよ」
それまでの激励とは打って変わって厳しい一言です。
3つともは厳しいかもしれませんが、1つも上手くいかないことはないのではないですか、なんて聞くと、
「いえいえ。何が起こるか分からないですからね。期待すると良いことは起こらないんですよ」
とはいえ、次に入ってきた3人目の方にも、やはり最大限の激励をして返すのです。この姿勢が、この方を重役たらしめたのかたと感じたものでした。
人に、結果に、過度な期待はしない。けれども自分が出来ることは最大限にする。この姿勢は、何事にも共通する真理だと思います。
期待しないと、毎日が快適でしょうがない
そして期待しないことは、自分にも当てはまります。
昔は、自分はもっとできるはずと思っていました。でも、それってとっても辛いことだったのです。常に結果が伴わないと満足できないから。
今は、頑張るけどさ、まあお前ってそんなもんだよな、と自分を思えるようになりました。結果が伴わない時もあるよね。むしろ、その方が多い。
決して諦めているわけでもなく、頑張らないというわけでもありません。ただ、自分への期待値を上手く設定できるようになったのだと思います。
頑張っているけれども、結果が出るとは限らない。言葉の限りを尽くすけれども、わかってもらえるとは限らない。
そんなもんだと思うようになってから、人生が圧倒的に快適になっていくのを感じたものです。
上手くいかないだろうから、別の手を打っておく。伝わらないだろうから、その人にだけ賭けない。やってくれないだろうから、ちゃんと言う。
そんな、上手くいかないを「当たり前」と考えた時に、逆に上手くいくことが増えた気がするのです。
期待しないと、美味しい
まぁ、上手くいかないを当たり前と思っているから、上手くいったことが増えた「気がする」のは当たり前なのですが。
でも、そっちの方が、人生楽しく過ごせるのです。セレンディピティ「感」に溢れた人生。
セレンディピティに溢れているかは分からないのですが、セレンディピティ「感」には溢れています。そして、それで十分幸せなのです。
「ここのランチ美味しいね」
同僚が言うように、再開したばかりのお店のランチは、思ったより美味しかったのです。全然期待してなかったのに、ラッキーだったねと私。
「いやいや。君、君。期待してないからこそ、美味しく感じるのだよ」
なんだ。分かってるんじゃん。
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