天才は、1%の閃きに99%の努力を投じている
のたうち回るからこそ、一流。
少し前にTwitterでバズっていたTweetなのですが、小説家の星新一さんの言葉で、壮絶な苦労の様を綴ったものが発掘されていました。
これを見てネット界隈では、星新一さんレベルですら、ここまで苦しまないといけないのかと悶絶していた、というものでした。
圧倒的な第一線級の人たちは、すらすらとアイディアを生み出しているように見えるものです。
ですが実際には、このような、のたうち回るような努力を続けているということが垣間見えた瞬間でした。
1%の閃きと99%の努力
エジソンの名言として有名な「天才は、1%の閃きと、99%の努力である」。この解釈は、大きく二通りと言われています。
一つ目は一般的なものです。1%の閃きがあっても、99%の努力がないと発明は成し得ないという解釈です。
実際、エジソンは圧倒的な試行錯誤の苦労人であって、99%の努力が無いと発明は成し得ないと取ることが素直な取り方だとは思います。
一方で、この言葉の真意は真逆で、1%の閃きが無いと、99%の努力は無駄であると言いたかった、とも言われています。
99%の努力をすることは当たり前である。その上で1%の閃きが出ないと全ての努力は意味が無い。その意味でエジソンは言ったのだ、ということです。
こちらはこちらでシビアです。1%の閃き無くして結果無し。努力よりも閃きこそが大切なのだ。これもまた真な気がします。
どちらにせよ、苦労の一端を伝える、壮絶な言葉であることには変わりありません。
第三の解釈
ただ今回、星新一さんの言葉を見て、個人的にはなんとなく第三の解釈をしたのです。つまり、1%の閃きを得るためにこそ、膨大な99%の努力を投じているのである、ということです。
これは様々なクリエイターの方々が言っていることで、 音楽家の米津玄師さんも「降ってくる」という言葉は嫌いだと言っています。答えは這いつくばって探すものというのです。
また、ファイナルファンタジーの作曲で有名な植松伸夫さんも、『楽して暮らしてぇなぁ。』というタイトルの名著を残しています。なお、絶版。
本当にそういうことなのだと思います。苦労なく偉大に見えるクリエイターの方々は、悶絶するような試行錯誤の後に、創作物を残しているのです。
仕事でもそうですよね。すごいなぁと思う人は、大体苦労の仕方がとんでもなかったりします。
いわゆる無茶振り。いわゆる無理ゲー。いわゆる修羅場。そういう仕事環境を生き抜いてきた人達です。
そんなことから、たった1%の閃きのためには、のたうち回るような99%の努力が必要であると解釈することが、ものすごくしっくりきたんですね。
のたうち回った経験は、必ず何かで返って来るさ
つまりは、ショートカットなんて無いと言うことなのでしょう。花咲くタイミングが違うだけ。 早くに咲く人もいれば、遅くに咲く人もいる。
それだけなのです。やはり苦労した分だけ、体に、心に、養分は蓄えられているものなのでしょう。
『言志四録』という儒学者・佐藤一斎が書いた本の中の一節です。帝王学の本として有名ですね。小泉首相が引用したことで有名になりました。
つまりはそういうことで、つぼみは、咲かずにいられなくなったので、花開くのではないでしょうか。
苦労という栄養が詰まりに詰まって、はちきれんばかりの勢いで開花する。そんな結果こそが、1%の閃きなのではないかと思うのです。
ということで、色々としんどい世の中ではありますが、無駄なことなんてないのかなとも思ったりする今日この頃なのでした。
まぁ、ほどほどに頑張りましょう。
ではでは。
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言志四録、素晴らしいことが書いてあるのですが、名言集のようなものでもあるので、少し解説があった方が心に残りやすいのだと思います。その場合、解説のウデは必要。自分に合った解説の方を選んでみるのも面白いかもしれませんね。
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