あの時のみそ汁、あの頃のわたし

ふと、急に思い出したこと。
今は亡き祖母が私を褒めてくれた言葉。

何歳の頃だったか、どういうシチュエーションだったか全く思い出せないけれど、嬉しかった言葉だけがたまに生きて蘇る。

祖母は大阪に在住で離れて暮らしていたため、年に何度か会える存在だった。
そんな祖母が私の家(三重県)に遊びにきた時のことである。

食卓を囲んで家族みんなで食事をした。会話に花を咲かせ、とても楽しい時間。そんな時、祖母は手元が滑ったのか手前にあったみそ汁をこぼしてしまった。
隣で食事をしていた私は慌てた。両親はすぐに立ち上がり、こぼれたみそ汁の具材をお椀に戻して台所に持って行ったり、どこかから持ってきたタオルでみそ汁で濡れた畳の上を拭き取ったり、手際よくこなした。

私は鈍臭いので両親のようにテキパキと動けなかったが、祖母が申し訳なさそうな表情をしていることを察して「火傷とか怪我がなくて本当に良かったね」と声をかけたという。
それが本当に嬉しかったのだと祖母がその後も何度か言ってくれた。
「なんて優しい子だろうと思ったよ」と祖母はいつも優しい目で教えてくれた。


今の私は、同じような状況に遭遇したとき、同じように誰かをほっとさせる言葉をかけられるだろうか。
祖母の言葉を思い出すたびに自分に問いかけている。
正直、自信がない。

なぜなら私は優しい言葉を伝えられたあの頃に比べて、とても臆病になったからだ。
誰かに優しい言葉を伝えること、誰かを思って強い言葉を投げかけること、それはその「誰か」との信頼関係があるこそ出来るのだと考えるからだ。

良かれと思って伝えた言葉で相手を傷つけてしまったら?
余計なお節介だと思われてしまったら?
私という人間にそんなことを言われたくなかったとしたら?
祖母が亡くなった後も私は生き続け、祖母の知らないところでいろいろな経験をした。そうして優しい言葉をかけることに迷いが生じるようになった。これもまた人生かも。

だからこそ祖母が私の言葉で喜んでくれたことは、自分を誇りに思えるささやかだけどお守りのようなエピソードに思う。


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