私のチーズ恋慕

チーズだいすき!

 口いっぱいに広がる、こてこてとした乳の味、鼻につきぬけるきつめな匂い、カビたちはピリピリと舌の上でタップダンスをしている。いま私の口の中にあるのはブルーチーズだ。
 私はチーズが大好物である。
 好きすぎて、毎日のように食べている。

 私とチーズは、もはや友のようなものだと勝手に思っている。
 毎日のように冷蔵庫から引っ張り出して、共に食卓を囲む友。
 ただ、私は捕食者でチーズは被食者という、悲しい関係なのだ。

 チーズはそのままでとても美味しい。
 パンに乗せて、さらにはトーストしてとろけたやつにかぶりつくのも、べらぼうに美味だ。
 香りの強いチーズをはちみつと食べるのも乙である。

 スーパーでチーズを見つけたときは、懐事情を心配しつつも、すぐさま買い物カゴにインする。
 そしてお金がない時は泣く泣く元に戻す。それくらい大好きだ。

はじめてのチーズ…(回想)

 私がチーズにベタ惚れしたのはいつだったろうか。
 物心つく頃には、パンにとけるチーズを乗っけて、オーブンで熱を入れていたような。

 口にチーズをもぐもぐと頬張って、食感や香りを堪能するのがいつしか好きになっていた。

 ピザトーストもよく食べた。幼少のみぎりに、チーズを食べたいがあまり、無理をしてピザトーストを吐いたのは、今ではいい思い出である。あれ以来、ピザトーストを食べる機会はめっきり減ってしまったけれど。

初めはやなやつ!

 ブルーチーズと初めて出会ったのは確か小学生だった。何かのお祝いで、家族と共にホテルのビュッフェに行った時だ。
 その頃の私は「“びゅっふぇ”ってなんやねん」な状態だった。
 好奇心旺盛な私は、ビュッフェとは何かを親に何度も聞いたが、結局よくわからなかったので「なんか豪華なバイキング」という素朴な理解に至った。

 そうしてビュッフェ会場に入り、色とりどりの食べ物たちに魅了され、片っ端から皿に取り、ぱくぱくと食べていった後の事だった。

 お腹もふくれ、最後の〆として食べるものを探して徘徊していると、なんか青い斑点を携えた怪しい物体が目に入った。
 普段食べ物として青色のものを食べたことがなかった私はびっくり仰天した。
 説明プレート曰く、ブルーチーズという。初めて見るものだった。

 どぎつい色に内心忌避感を覚えた。しかしその頃から自称チーズ好きだった私は、「臭みが強いからやめておけ」という親の忠告を聞かずに、謎の責任感からブルーチーズに挑んだ。

 それを口に入れた瞬間、奇妙な匂いが鼻を抜け、私は顔をしわくちゃに歪ませた。家族は笑っていた。とにかく強烈な味だった。まだ子供の繊細な味覚では、耐え難い酸味と臭み。

 舌に重傷を負った私は、チーズ好きの意地にかけて、大人な舌になって再戦しようという決意を固めた。そんな感じで戦略的撤退をしたのだった。

数年後………

 私も多少大人になった。それと同時に、かつては繊細だったであろう私の味覚も鈍化していた。
 大人になるとコーヒーに耐えられる舌になるのは、歳につれて味覚が鈍化するかららしい。
 それならば、私もブルーチーズが食べられる舌になっているのではないか。いまこそあの無念を晴らすときに違いない。

 歳を重ねて、細やかな味がわからなくなったという悲しい現実を抱えながら、店でブルーなチーズを買った。

 久しぶりに食べてみると、予想通りに美味しかった。一度食べたことがあるのも要因だろう。最初ほど激烈なインパクトは感じない。
 それどころか、だんだんクセになる味だった。

 ああ、さようなら、私の子ども舌…。

 私はブルーチーズの虜になった。

 チーズは運命の相手と言っても差し支えないかもしれない。私が人生をかけて楽しむのはチーズだ。それまでゲーム以外に本当に好きなものがない、若干灰色だった世界にそんな確信が舞い降りた。

昼ドラがはじまる予感

 そうしてチーズに好意を寄せた私だが、ある日、チーズに縁談が持ちかけられていることを知った。お相手はワインである。
 聞くところによると、ワインはマリアージュ(フランス語で結婚の意)といって、チーズだけでなく色々な食べ物と共に食すことでさまざまに味が変わるという。

 つまり、ワインは何股もしている修羅場メーカーなのでは?と私は思った。思い込みの激しい私はこれを真実と考えた。そう思うことにしたのだ。

 そんな不埒な輩に私の運命の相手をとられてたまるものか、と私は憤慨した。
 チーズに結婚などしてほしくない。そのままで美味しい、それで十分ではないのか。なぜチーズの味が変わってしまうなんていやなのだ。

 パンと合わせたり、はちみつをかけたり、ケーキにするのとはわけが違う気がするのだ。

 これらはチーズが主役だが、ワインと合わせるとどちらが主役かわからなくなる。
 チーズがメインなのか、酒のつまみ的なポジションなのか。チーズの地位が揺らぐのは私にとっては大問題だった。
 圧倒的いちばんが、チーズでなければならない。好きなものが他からも一番であって欲しい。そんな自己満足なきもちがあった。

 少なくとも相手がどんなやつか調べねば気が済まない。しかしチーズに問い詰めても、物理的に答えてくれない。
 仮にチーズがしゃべれたとして、そんなナイーブな事情を話してくれるだろうか。きっと何も言ってくれはしないだろう。私はチーズが好きでも、チーズは私のことは好きではないのだ。

 もわもわと頭に浮かぶ、よくわからない考えを手で振り払いつつ、自らの力で調査する決意を固めた。

そして和解の予感

 ワインは本当にチーズと相性が良くて美味しいのか。実食によって真相に辿り着こうと意気込んだが、私は未成年だった。まだ酒は飲めない。
 この任務が遂行されるのはあと数年かかるだろう。それまではおあずけだ。

 ワインのことはいずれ調べるとしようと気をとりなおした。時が解決してくれるもの。

 目下の予定が遠くへ行ってしまい、手持ちぶさたになった私は、ふと疑心を抱いた。

 私は本当に、ワインとチーズのマリアージュに反対しているのだろうか。
 ただ酒の飲めない年齢であるがために、よく知らないワインに謎の敵対心を抱いているだけかもしれない。

 相手を知らずに忌み嫌うのは野暮だろう。ブルーチーズも最初の印象はほんとうに悪かった。
 ワインを飲むことで、この心の壁は崩れるかもしれない。私の信頼する友になり得るものを、はなから避け続けることはしたくない。

 まずはお酒の飲める年齢になってから、ワインとチーズが本当に相性がいいのか調べよう。
 もし調べ尽くした上で気に食わなければ、ワインに古風な少女漫画よろしく白い手袋を叩きつけてやろう。決闘を申し込むのだ。

 朝ご飯のチーズトーストが焼き上がるのを待ちながら、私はそんなことを考えていた。

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