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軌道の変遷 episode10

1から4と、まだ書けない5と6は飛ばして、7、8、9と書いてきました。ここらでひと区切り。長々とお付き合いくださったみなさま、ありがとうございます。それでは最終回、ちゃんと回収できてケリをつけられるのか不安ですが、はじめます。


医師Cのもとへ

医師Aから紹介状をもらって、医師Cの予約を取るために電話をかけたら、先生と替わってもらえて、少し話をした。どういう診断がついたか気にしてくださっていたらしい。
医師Cは【 Y 】と見立てていて、もしそっちなら専門の先生の所に行った方が良いのでは?と候補を考えていただいていたようだ。
だけど、ユキはそんな風にあっちからこっちへと簡単に動かせる人ではない。先生ありがたいけど、それは無理だ、と思った。

幸いにも、というか、診断は【 X 】で、他の候補のことを聞くまでもなく、こちらでお世話になりたいです~と予約を取らせてもらった。
C先生にしたら「診断そっち?」みたいな驚きがあったようだったけど、病院Aなら間違いないって言ってしまったのは先生だから、知らないよーと少し思った。
ただ、【 X 】と【 Y 】が重なっている、という診断があってもよかったのかもしれないな、と思う。重なりについて、専門家にもいろんな考え方やスタンスがあるようで、私は素人だけれど、「ユキは両方とも水準を超えている」と考えた方がつじつまが合うというか、納得できることが多いから、両方採用してもらった方がしっくりくるけど、そこにこだわることに意味があるのかないのかわからないので捨て置くことに。

診断のブレについては、ユキ自身にいくつかのチャンネルのようなものがあって、【 X 】っぽい時や【 Y 】強めの時があったり、同時に両方出てくるというよりは、その時その時でどっち寄りか、どっちが目立っているか、みたいな流動的な部分がある。相手の出方によって、会話の引き出し方によって、どちら側にもたやすく振れ、ずいぶんと印象が変わるのではないかと思う。もちろん、そういったこと込みの診断で、専門家なんだろうけど。
医師Aや臨床心理士に対して、ユキのチャンネルがどうだったのか、見ていないので私にもわからないが、医師Cと話しているときは、確かに【 Y 】強めだったかな。

いざ診察

医師Cは、ユキ本人が現在何に困っているか、今後どうして行きたいか、じっくり話を聞いてくれた。生活リズムの乱れをなおしたい、というのを一番にあげていて、あ、そう思ってたんだ、とすこし驚いた。先生曰く「今飲んでいる薬では、効能がかぶっているから、日中もずっと眠かったでしょう」とのことだった。

なぜ医師Bは長い間その組み合わせで薬を出してきたのだろう、と恨めしかった。医師Cいわく、「とてもオーソドックスな薬」だそうで、医師Bが新しい薬についての知識をアップデートをしてきていなかったか、使った経験がなかったのか、古くから使われている薬で安全策をとったのか、ユキの困っていることの伝え方が足りなかったのか、困っているとも思っていなかったのか・・・今となってはわかりようもない。いずれにせよずいぶん回り道をしてしまったことは確かで、ずいぶん多くの機会を逸失してしまったように思ってしまった。
それでも、医師Bとの出会いも、通い続けたことも、病院を変えたことも、そのタイミングも、すべて「それ以外ない」と思って選んできた道だから、結果として回り道のように見えても、それが唯一のユキの通る道だったってことなんだろう。人生は最適最短ルートばかりを行くのではない、むしろその方が珍しいことなのかもしれない。

医師Cは今後の方針シンプルに示してくれた。まず、薬について、一つの薬を影響の少ないものにかえ、別の薬を減らしていくことになった。
この減薬がむずかしいらしく、ニコチンなどと似ているのかな。徐々に緩やかに、いつの間にか減ってた、みたいな感じですすめていくことになった。
次に、減薬と同時進行で、生活を立て直す。睡眠時間について、じっくり時間を取って話してくれた。長い間取り掛かれていなかったことに、サクサクと手を付けてくださる医師Cは頼もしかった。ユキもゆるゆるとではあるが、言われたことを実行しようと、それなりに動き始めたようだった。

しばらくすると、薬が減っていき、生活リズムも一般的なものに近付いてきた。生きづらさを訴えることも減り、穏やかになったように感じていた。反抗期か思春期か、なんとも名付け難い暴走時代も、ようやくここへきて収束していくのかと思われた。

そっちなんじゃないか問題

いつもそうだ。油断は敵だ。緊張がゆるんだころに、忘れたころに、ことは起こる。
爆発の理由は些細なことだった。バカバカしくて笑っちゃうくらい小さなことだ。それでそこまで激高することか?と毎回心底思う。暴言や危険な行動をとる火種は消えたわけじゃなくて、まだあったんだな、いや、ユキの内にはずっとくすぶっているものなんだって、ガツンとやられた。

あるとき、このことをアメがお世話になっている医師Dに話した。ユキの診断について聞かれ、軽く説明すると、「ユキさんは【 Y 】もあるんじゃないかなぁ」と言われた。まさかのここで「そっちもなんじゃないか問題」が持ちあがるとは!

今までにも荒々しい言動、衝動的に危ないことをやらかしそうになることがあり、まさに「暴徒化」だったんだけれど、これはいったいなんなのだろうと、ずっと謎だった。が、あーなるほどーそっち由来の困った現象だったのか、とすとんとおちた。

「C先生なら知ってるよ、確かそっちの専門じゃなかったよね、うちに来てくれたらできることはあるけど、C先生が気に入っているなら、そっちは続けながらでもいいからね、急がなくていいからね」と言っていただいた。それは優しさとはきっと違うんだけど、先生の言葉は優しくしみた。そして、医師Dは【 Y 】の専門家だったのか!初めて知った。

あのユキが医師Dのところへすんなり行くとは、まー思えない。でも、それでも、そういう道筋もある、いざとなればそういう手法もある、とわかっただけでも、何もないよりはいい。

ユキに伝えるかは、迷った。余計なことを言って、混乱しないか、拒絶からまた断絶を産むんじゃないかとか。今までにも、こちらが良かれと思ってすることは、だいたい曲解、誤解され、悪い状況を作ってきた。
けれど、知ってしまった有益かもしれない情報があるならば、伝えないわけにはいかない、そう思い直した。

ユキはピンと来ていなかった。「暴徒」本体は、自らの行動を悪いなんて思っていないから、改善しようという考えはないのかもしれない。周りは困っても、本人はさほど困っていないのだ。
今後、ひどくなった場合に備えての警告替わりに、「こういう手もあるからね」と伝えるだけ伝えた。
医師Cにも伝えるべく、D先生の言葉を手紙にしたためた。手紙はユキにも見せて、ユキから渡してもらった。私のできることはやったので、手を引いた。ここで手をはなさなければ、またヤキモキしてイライラして事態を悪化させるかもしれないから。あとはユキと医師Cでよきに計らってくれ。

おわりに

医師AからB、BからA、AからCと来て、気付いたら、医師Dへも波及。
絶望的な状況からここまで、たくさんの医者やカウンセラーやその他の専門職の方に関わっていただいた。人によって時によって見解が変わることに戸惑いもしたが、今になって思えばよかったと思う。
医者もいろいろ、患者もいろいろ、状態もいろいろ、当たりが出るまでくじはひき続けていい。

いつもどこからともなく次のご縁がやってきて、途切れることなくつながっていく不思議。いろいろな先生の見解で、ユキの生態が解明されていく不思議。
道を探し求めるかぎり、どこかから助けは降りてくるし、なにかの拍子で次の扉は開くし、行き止まりの袋小路にいることは案外短い、如何ようにもなるものだ。

困ったら手を伸ばせ、だれかに話せ

「今生の別れにひとこと」というコーナーが、もしあったとしたら、これだけを伝えたいと、今はそんな風に考えている。

ぐるぐると回りながら上がってほしい、その先には光があってほしい、との願いを「螺旋階段」に込めて。








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