見出し画像

2020 March 振り返り

このライフログも奇跡的に3か月目に突入。どうせ手帳の記録もそんなに続かないだろうと思っていたけれど、なんだかんだでメモしている。そして、3月からよしもとばななさんの ”Banana Diary” も並行して使い始めた(3月スタートの手帳)。私はこの「書いても特に何も叶わないけど」というコンセプトがとても好きだ。いま、手帳は1月はじまり、3月はじまり、4月はじまりと1年に何度も発売される。そしてどの手帳も「なりたい自分になる」とか「夢が叶う」とか、そういうキラキラワードであふれていてなんとなく疲れる。私の目的はすぐに忘れてしまう日々を記録しておくということなので、とくに何かが叶う必要はない。中年にもなってくると、手帳に書いたからといって夢は叶わない、ということもうすうすわかりはじめる。でも同時に、叶う方法もなんとなくわかりはじめる。

コロナの影響

2020年3月のログを取る中で、コロナの影響を避けて書くことってできなくなってしまった。本当はあんまり書きたくなかったんだけど、ログという意味でも、タイトルにしなきゃいけないほどにインパクトが出ている。
3月5日に星野源のファンミーティングみたいなのが横浜アリーナで開催予定だったが結局中止になり払い戻しに。唯一と言っていいほどの趣味が絶たれてしまい、仕方なくNetfilxで東京ドームのライブを眺める日々。
仕事は、ほぼ自宅作業となり、デスクチェアとモニターを新調してダイニングテーブルで仕事をしている。これに慣れてくると本当にオフィスなんて必要なのか? と思ってしまう。東京の一等地に高い家賃を払って1か所に人を集めて仕事をすることの意味って一体なに? オフィスがなくなることはないと思うんだけど、かなり縮小はできる気がする(そしてセルフマネジメントの甘い人は、淘汰されていく)。
きっとこれから通信ももっとよくなるはずだし、音声品質も画像もきれいになり、ミーティングのはじめに ”Can you hear me?" なんていちいち聞かなくてもよくなるはずだ。ミーティングだってプレゼンだって、技術革新が進めば大体のことは解決できる。5Gがこのタイミングで出てきたのもそういうことかもしれない。なんとなくそういうことってつながっている気がするのだ。「東京ロックダウン」って映画みたいなタイトルのこともここ数週間の間に起こるかもしれない。奇しくも物事が進む時は、良くも悪くもいったん破壊され、人々の価値観を変えていくものだ。自然のなりゆきで。

日々のこと

先月からプチ断捨離をやっていて、だいぶ部屋がすっきりしてきた。本や不用品はかなりメルカリで売れた。残ったものは寄付したり、ブックオフに持っていったり。捨ててもいいんだけど再利用してくれる人がいればそれはそれでいいかな、というのが私の価値観。来週は新しく買ったチェストが納品されるのでそれにあわせてもう少し整理を進めたい。部屋の雰囲気も少し変わる感じがしてワクワクする。
家にいる時間が長いので、部屋お花を飾っている。春なので白とピンクのスイトピーを買ってグラデーションを作ってみた。「赤いスイトピー」って歌があるけど、私はお花屋さんで赤いスイトピーを見たことがない。スイトピーは大体が淡いパステルカラーものが多く、原色に近い色のものはない。濃い目の紫はあったかな、程度だ。あの歌は架空の花を表現したものなんだろうか? 
あたたかくなってきたので、春物の洋服をいくつか買った。ずっとほしかったダンガリーシャツ( 1er Arrondissement )とベージュのざっくりニット(ノンブランド)。あとはRMKでオレンジのチーク。ヨガマットはだいぶ汚れていて、15分ヨガやストレッチすると身体がかゆくなってきていたので、これも新調(NERGY)。

ワニくん

※ちょっと口調変わります
結構好きだったんですよね「100日後に死ぬワニ」。ちゃんと考えられていると思うんです。素敵なクリエイターさんだな、と。

私は、2018年にまだ32歳だったいとこを亡くしています。それはきっと祖父母や両親が亡くなることとは全く違った意味を持っていて、自分の人生観を変えるほど(なんて軽々しく言いたくはないんだけど)の強烈なインパクトを与えた出来事でした。
ワニくんを見ていて、そのいとこのことをすごく思い出した。死ぬことって映画やドラマだとすごく特別なこととして描かれがちなんですけど、そうではなく、死ぬことって、普通に日常の中に転がってるものなのだと。世界人口76億人の中で人が1人の人間が死ぬことって日々普通に起きている。大往生する人もいれば、憎まれながら死ぬ人も、惜しまれながら若くして亡くなる人も、突然亡くなる人も、余命を宣告されて残された時間を全うして亡くなる人も、自分で死を選ぶ人だって、死産みたいに生を受けることなく亡くなる赤ちゃんだっている。
それぞれ身近な人にとっては強烈で大きな出来事であるんだけど、俯瞰(ふかん)して人類って視点から見ると決してそうではなくて。確かに人間の目から見たら理不尽で不公平に訪れるものだけど、生命全体のサイクルという意味では自然なことなんだと思う。もちろん自分や自分の身近な人がいつそこにエントリーされるかだってわからない。そういうもの。

「日々を大切に生きよう」とか、ちょっとむずかゆくなるようなメッセージの受け取り方ではなくて、私たちはそんな中に生きているんだという事実。それをわかることって何となく意味があることに思えるのです。

For the next Month

4月がどんな月になるかちょっと想像つかず。来月から新卒が自分のチームに配属されることになり一波乱ありそう。家にいるかもしれないし、会社でみんなで仕事してるかもしれない。なんでもいいけど、時々ビール飲んだりしてとにかく元気でいようと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?