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心を尽くして別れるということ

義母を見送った。
どこまでも優しいひと。
いつもいつも子どもたちが最優先。
わたしはいいから、
あんたたちの好きなようにしなさい。
それが口ぐせのようだった義母。

数ヶ月の入院生活。
コロナ感染予防のため、
家族の誰も会えない期間が続いた。
もどかしい時期も耐えてくれ、
やっと先月から、面会できるように。
それも、家族の1人だけ10分という制限。

亡くなる前々日には息子と、
前日には娘と会話ができた義母。
深い哀しみの中にも、
義父の時には果たせなかったこと、
少しずつ別れる準備をしていた姉弟の背中を
ただみつめていることしかできなかった。

眠る義母の側で、
義姉とふたり、長い長い通夜を
おかあさんはああだった、こうだったと
語り合えたこと。
そんなことは結婚以来初めてで、
これもお義母さんがくれた時間なのだなぁと。
笑ったり涙ぐんだりの繰り返し、
語らううちに心がほどけていった。

結婚してしばらくは、
言葉数の少ない義母に
毎回どこか少し緊張していたこと。
逆に話がなかなか止まらず、
何度も同じ話をする義父に少し困惑していたこと。笑

姉弟が家を出るまで、義母は
目覚ましなど一度も使うことなく、
誰よりも早く起きていたし、
身体が辛いこともあったろうに、
横になった姿など見たことがないと。
店屋物や出来合いのものが食卓にのぼったことはなく。
パートのお給料が出る日にだけ、
普段は骨が溶けると買わなかった
ジュースを飲ませてくれたと。
そんな子育て真っ最中だった
義母のことをお義姉さんが話してくれた。

家族のために生きる、
それを体現していたひと。
家族のために立ち働くこと、
特にたくさん作って食べさせること。
それが原動力だし義母の喜びだったのだ。

何よりスーパーでの買い出しが
1番好きで楽しみだった義母の姿。
たくさんのもてなしを思い出し、
ああ、家族として迎えてもらって
もう20年が経ったんだと。
わたしにもあたたかい気持ちと思い出を
たくさんくれた義父と義母に
改めて感謝できる大切な時間だった。

親を見送るということ。
心を尽くして別れるということ。

身をもって夫が、
わたしと息子に見せてくれている。
義父の時の記憶が薄かった息子も、
いのちはいつか必ず尽きてしまうこと。
今回は本当にたくさんのことを感じたようだった。

わたしは大丈夫だから、
えりかさん、体に気をつけてね。
ふたり(夫と息子)のことをよろしくね。

電話でもメールでも、最後に必ずこの言葉が。
わたしにできるのは、
お義母さんのこの言葉を守っていくことだけだ。

義母宛てに、長い長い手紙を書いた。
書きながら、さまざまな感情が溢れ、涙が流れた。
自分がふがいなくて。
甘えていたし、傲慢でもあったと。
義母と共に、燃え尽きるはずの手紙には
心の深いところにあった本音も書けたと思う。

頼りないけれど、やるだけやってみるから。
まあまあがんばったたい、と
いつかまた逢えるのならば、言ってもらえるように。
義母とわたしだけの秘密の決意表明だ。

いつか必ず訪れる別れを想い、
大事なひとたちと過ごしていこう。
日々を生活を慈しもう。
たくさん笑っていきていこう。


#見送るということ #別れ #義母のこと
#コラム #エッセイ

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