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信じること、と自分軸(スピリチュアルあれこれ)

信じられるだろうか。

わたしの高校の成績がここまで悪いのは、
前の席に座っている女の子の肩あたりにいる、
法衣を纏った男(おそらく琵琶法師の守護霊)
の奏でる琵琶の音が、
ベベンベンベン、ベベンベンベンとうるさすぎて、
先生の声が聞こえないからだ。

という、至極真っ当のように語られたその理由を。

おいおい、と一笑されるようなその話を、
わたしは信じた。
なぜならば、それは実の妹の弁だったからだ。

始めから書くと長くなるので割愛するが。
妹にはどうやら、他の人には見えないものが
見えるらしかった。
そしてそれは物事つく幼少期からだったので、
善悪というか、虚と実というか
区別がつかず、大人からは眉をひそめられたり、
しまいには怒られたりするので(特に母親)
小さい子なりに黙って受け入れると同時に、
それからは内に抱え続けたという妹の事情にある。

そのことを打ち明けられたのは、
わたしたち姉妹が中学生になってからのことだ。
にわかには信じがたいその話を、
まったくその類の勘が働かないわたしでも
すんなりと受け入れることができた。
まあ、実の妹の言うことであるし、
彼女の性格上、そんな壮大な虚言をする理由も
見出さなかったからだが。

そして、件の琵琶法師の話や、
登下校中にすれ違う、
異国の言葉を話す部隊の集団や
(これは話を聞くに、わたしが元寇だと判断した)
背中をとんとんと叩く、斬首された侍とか、
(とんとん、は手ではなく頭で!)
なんと反応してよいのかわからないような
おどろおどろしい妹の体験談も、
淡々と、時ににやりとした
彼女の語り口にかかれば、
なんだかおもしろい物語を聴くように
受け入れられたのだから不思議だ。

それもこれも、彼女が働き始める頃には
自然にその能力?みたいなものはなりをひそめたので、
わたしの遠い記憶に残る、今となっては
懐かしいうそのようなホントの話である。


『スピリチュアル』という言葉が
一般的になったのはいつごろからだろう。

スピリチュアル、という言葉を知る前から
わたしにとって目に見えない世界は、
わからないなりに身近だった。

妹が言うことだから、
そういう世界もあるのだろうな、
ということを受け入れたが、
目に見えない、霊的な、精神世界の、
という語源から派生した
占いや輪廻転生、オーラ診断や霊視など、
いわゆるスピリチュアルな要素は、
基本的に、わたし個人には
あまり必要がないと位置付けていた。
ただある数年を除いては。

子どもがほしい。
結婚して間もなくから、何年も治療していた。
ぞっとするような冷たい器具の感触、
何度打っても慣れない注射。
毎月毎月、期待しては落ち込むの繰り返し。

あら、まだまだ若いじゃないの。
そんなに焦らなくったって。

産婦人科の看護師の何気ないその言葉に、
心かき乱され、その病院に通わなくなった。

夫婦仲も、わたしが必死になりすぎることで
互いに疲弊し、ギクシャクしていた。

いったん、子どものことは忘れよう。
意識の外に出すことは不可能だったが、
治療を休むことにした。
休んでみたらひょっこりできました!
そんな体験談に本当は色気もあったことは隠して。

しかしやはり兆候はなく、
あっという間にさらに2年が経つ。
30までにできれば子どもはふたり、などと
漠然と描いていた未来はそこにはなく、
結婚から6年、32になっていた。

治療に疲れたこの頃、当時40代くらいの
いわゆる霊視ができるという女性と知り合った。

知らないうちに流産してるよ。
その子のことをきちんと見送ってあげて。
そうすれば赤ちゃんができる。

一度は宿ったことがあったのだろうか。

にわかには信じ難い、
うそかほんとかもわからない話なのに、
もしかしたら、と涙が出た。

女の子だったというその子に名前をつけて、
指定されたものを揃え、
彼女が唱える読経に合わせて祈った。
ただただ必死だったのだ。

見返りを要求されたわけではない。
無償でしてくれたことに、
異議を唱える強さはなかった。

望むものが得られず焦り、
心は疲れ切っていた。
信じるものは救われる、そんな気持ちもあった。
赤ちゃんに会うために、
この女性に会ったのだとさえ思った。
信じなければ、叶わないと。

医学的な治療は必要ない、待ちなさい。
そう言われ、従った。
その後、1年以上が過ぎても兆候はなかった。

そんな精神状態がいいわけがない。
今ならわかる。

もう時間がないと焦るわたしは、
やはり不妊治療をしたいと、その女性に言った。

それはそれで、
あなたがやりたいならやったらいいわよ。

あっさりと言われた。
医学的なアプローチは良くないと言ってなかったか。
この2年近くは、なんだったんだろう。
だいたいなぜ、彼女の許可が必要なんだ。
わたしは何をやってたんだ。
やっとやっと、冷静になれた。

自分の考えを信じよう。
誰の人生でもない、自分の人生だ。
そこから2年、踏み込んだ治療をした。
精神的にも経済的にもギリギリだった。
でも、よくわからないものにすがるより、
よっぽど何を頑張ればいいかわかりやすかった。
奇跡的に息子を授かり、産むことができた。

スピリチュアルを否定するわけではない。
そこに関わる、自分のコンディションが
大事なのだと思い知ったのだ。
弱っているとき、マイナスの思考に囚われるとき、
目に見えないというその世界は、
おそらくその人にプラスには働かない。

その人自身の問題なのだ。
誰かや何かに精神的に頼ることは、
言い換えれば、自分のせいではないと
逃げ道を用意するようなものだ。

だれにでもその人なりの苦しみがあって。
比べることはできないけれど。
人は弱い。
どうしようもない悩みや苦しみの
渦中にいるときには、
そういう世界に引き込まれやすい。

子育てに夢中になり、
あのなんとも形容し難い数年間のことを
自然とわたしは封印していた。
その霊視ができるという女性のことも
責めるような気持ちはない。

子どもがほしいともがきにもがいた8年間。
特に霊視を信じようと頼った数年間は、
わたしというぶれない軸をつくるのに、
必要な時間であり経験だった。
今はそう振り返れる。
あの時の自分を否定せず、慰めてやりたい。




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#エッセイ #コラム #わたしの場合







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