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大学教員公募の振り返り③

そして、公募3年目
この年は、10校ほど応募しました。
結果的にこのうちで内定をいただけたところに就職したわけです。
以下、月は応募があった月(ちょっとうろ覚え)

A: 3月 書類落ち(分野違いだが母校のため出してみた)
B: 4月 書類落ち(新設学部 落選の通知すらいまだない)
C: 6月 書類落ち
D: 7月 書類落ち
E: 8月 1次面接(模擬講義あり)→2次面接→落選
F: 9月 書類落ち(やや遠いから案じていたが何のことなく落選)
G:10月 書類落ち(分野違いも甚だしいが一応出してみた国立大)
H:10月 面接(模擬講義あり)を経て内定
I:  11月 1次面接→2次面接のご案内(多分ここで模擬講義)→辞退
J: 11月 書類落ち

最後の2次面接まで呼ばれていた「I」はちょっと悩んだけど、ボスより「先に内定を頂いた方に行け」との指令があったのでお断り。
「E」はおそらく面接の時間帯から見ても、私は第二候補だと思われたし、第一候補の方の面接が押しているとのことだったのに、私の面接は時間より早く終わったし、最後の方の研究室の広さ云々の説明がぞんざいだったのでここはきっとご縁がないな、と思ってました。
案の定の落選だったけれど、この結果から数日もしないうちに再公募が出てた!ってことは第一候補の方も、落選なのかお断りされたのか・・・

現任校は、後で聞いた話だと45名ほどの応募があったそうです。それからポストに空きがないので公募がどうやって進むのかわからないのですけど、非常勤の先生の公募の場合は、選考委員(多分学長とかが任命するのかな?)が立ち上がっているので、同じような感じなのかな?と思っています。

結果として、実働2年くらいで内定をいただきました。
18校書類を出して、面接に漕ぎ着けたのは5校でした。
どの大学も面接に行くとその大学のカラーがあって面白かったし、書類落ちしたとしても、それまで見たこともなかった(失礼)大学のWEBサイトみたりして、へーと思うこともあったり。

ボスたち(修士や博士でお世話になった先生方)にも推薦状描いてもらったり、問い合わせ先になってくれたり本当にお世話になりました。
それぞれ、新任の大学に顔を出しに来てくれたり、着任の際にはお花をいただいたり・・・ありがたいし、周りに恵まれているなぁと感じました。

おしまい

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