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自分を変えることって、頭痛いよね

「自分を変えること」

きっとそんなに簡単じゃない。今までの育ち方とか、考え方とか、固定されたものはたくさんある。そこから「変えなければいけないもの」というのが登場する。なぜなら今の自分→理想の自分になりたいと思っているから。それには、今のままではもちろん何も変わらないから、変えていく必要があると思う。

わたしは、変わりたいと思っていても、いつもその気持ちが甘く(弱く)変わることが出来ずにいる。だから、絶賛立ち止まり中だ。そのことについて書いてみようと思う。

変わりたいと思うことで登場するもの


「変わりたい」そう思うのはなんでだろうと考えてみる。今の自分が好きではないからだ。

と思うけれど、「今の自分が好きではない」から変わりたいが本当の理由なのか考えてみようと思う。今の自分が好きではない、ここにいろいろ詰まっていると考える。

いろいろネットや本で、「自己肯定感」という言葉を見る。自己肯定感とは、

自分のあり方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する語。 自己否定の感情と対をなす感情とされる。
引用:Weblio辞書

となっている。ここから見ていくと、自分のあり方を、積極的に評価できず、自らの存在意義を肯定できない。自己否定。という状態にあることがわかる。

こういった状態から変わりたいということなのだろう。自分のあり方を積極的に評価できるようになり、存在意義を肯定する。自分はこれができると胸をはって言える、わたしは生きていていい存在なのだと自分を肯定する。

こんな自分になりたいのだと思う。だがしかし、うまくできない、要は、新しい自分へと変わろうとチャレンジするも途中で挫けるため変われず失敗、となってしまう人はたくさんいると思う。わたし自身も何回も経験した。(ただこのことについては自分で自覚している諸々もあるので後ほど深掘りしていこうと思う)

この「失敗」というものは、途中で辞めればすぐに訪れるもので、なかなかメンタルに来るし、その後のやる気をごそっと持っていく。そしてそこからチャレンジしなければ、詰む。だからまた違う方法を考えなければいけない。生きてきてわかったけれど、変わりたいと思うのなら、とにかく動かなければいけないし、考えなければいけないのだと気づいた。

「〜しないといけない」と思いすぎると、確かにうつ病になったり心を病んでしまう恐れもあるけれど、自分がやっていることの量や深さ、果たして本当に頑張れているのだろうか、正しい方向に努力できているのだろうかという考えは放棄してはいけない。これを放棄すると、とりあえず動いているけど何にも身についていないという最悪な状況が出来上がってしまう。

なぜこういう風になるかというと「考えていない」からだ。考えることと思うことは全然違う。自分に一生言い聞かせたい言葉だ。自分がこれからやらなければいけないことを、自分自身で1つ1つ見つけなければいけない。これは多分だけど、一生をかけた戦いになるのだと思う、敵は、過去の自分だ。(真顔)

「考えること」について考える

わたしは、考えることがとてつもなく苦手な人間です。考えることができていたのなら、何度も心の調子を崩すこともなかっただろうし、今立ち止まったりもしていないと感じている。そういえば、自分のことってちゃんと考えたことあったっけ。

これからのことを考えることは、わくわくしますか?それともなんだかツライですか?わたしはどちらかといえばツライです、頭が痛いです。「また失敗するんじゃないか」ってそんな感情に囚われてしまいます。本当の自分を見つけるって、え、どうやってやるの?ってなってしまいます。なかなかやばいかもしれません。でも、変わりたいという自分がいるので、これはどうにかしてクリアしなければいけない、そう思っています。

トライアンドエラーという言葉に対し、そうだなと思いますが、トライはちゃんとトライになっているのかをもっと考えなければいけません。わたしみたいに考えることが苦手な人間こそ、がんばれ、考えろ!!!そのためにネットを使え、SNSを使え、と思うようになりました。

自己否定したり、ひねくれたりしている時間は本当はないのですが、もし自分がまだそのステージにいるのなら、考えて進まなければ一生このままなんです。それが、現実です。人に、世の中に文句を言って死んでいくだけの人生は、わたしはいやです。

考えるうえで思うことは、視野を広げる、人と比べない、やりたいことを明確にする、これらを基準にしようと。そして自分だけの力に頼りすぎないこと。苦手なことならば、他人の力を借りることも大切。本を読んだり発信している人を見たり。影響されやすいのならそこには注意が必要だけど、最後の最後まで考え抜き向き合わなければいけないのは、自分自身ということさえ忘れなければ大丈夫だと思う。

変われる人って、多分だけどそうとう頭使って、努力した人だと思う。何年もかけて、積み重ねることができた結果、変わったんだと思う。自分に負けなかった人達。

変わりたいのなら、変化を恐れないこと

当然のことなんだけど、けっこう適当に捉えていたことがある。変わりたいと思って割といい方向に動けている時は、付き合う人も、環境もどんどん変わっていった。自分が変わっていくのだから、そりゃ今までとは違う結果が周りに訪れる。

これは、悪い時にもいえること。心が病んだしまったときは、やっぱり楽しくなかった。否定的な自分になれば、毎日もそれに見合った毎日になる。「どうしてこんな目に・・・」と思ってしまうときっていうのは、そんな自分になっていたりする。引き寄せの法則とかそういう捉え方はあまりしないけど、自分が否定的になると、通常運転じゃないから周りも変わっちゃう。みんななにかしら自分が好きだし大切だから、自分を大切にしてくれる人が好きに決まってる。そういうことなんだと思う。否定的になってる自分って、あんまり楽しそうに見えないんだよね。人間ってわかりやすい生き物だなと思う。

変わりたいって環境を変えることも大事だけど、それにあわせて自分もどんどん変えていく。最初はすごくぎこちないんだけど、自分を変えるんだからそれくらいぎこちなくて気持ち悪いのはふつうなんだと思う。よくなろうとしているんだと思う。成長痛みたいなもの。不愉快とかはまた別だけど。

自己肯定感が低いとか、自分に自信がないとかだと、はじめは自己嫌悪がやばいと思うけど、たいていは「無駄なプライド」が邪魔をしているもの。「無駄なプライド」を持たなければ生きていけない環境、人間関係は、残念ながら続かないし、いいものも築けない傾向にあった。

自分自身がそうなってしまった(自身がないとか、暗いとか、すきなものがないとか)理由って、無駄なプライドによるものなこともあるし、そして自分に嘘ついた代償でもあると思っている。視野が狭いと、自分と同じような人間を見つけることもできないから「自分はみんなと同じことができないからダメだ・・・」って多分思っちゃう。そして心が病んだら抜け出せなくなる。

周りに、「それでもいいんだよ!大丈夫!がんばっていこうよ!」って声かけてもらえる環境があったのならどんなに生きやすいんだろうと思ったりもする。実際にどこかにはあるんだよ。自分の周りにないだけで。

そんな環境を想像するだけでワクワクするし、きっと生きててよかったと思えると思う。わたしは、なんか心病んでしまって暗くなっちゃったなって今でも思うことあるけど、このままじゃいやだと思うもん。変わりたいと思うよ。何歳になっても、そう思う。年齢にとらわれることも違うと思うよ。

だからやっぱり考えて、新しい道を用意することが必要だと思う。打開策というものを見つけるべきだと思う。今の自分が言っても説得力ないかもしれないけど、頭痛いかもしれないけれど、最終は自分が動くしかない。他人の力を借りれるところは借りて、そして少しずつ自分を変えていくことができれば理想に近づく。

「そのままでいいんだよ」という言葉はとても大切だけれど「変わりたい」という言葉だって大切だと思う。自分自身本当はどう思っているのか問いかけてもいいと思う。「変わりたい」を掘り下げるとカッコ悪い自分ばっかり出てきて、頭痛くなるし疲れるし嫌になるけれど、変わりたいのならやるしかない。

はずかしいことを全部さらけだす必要はないし、言いたくないことは言わなくていいと思う。でも言葉にすることで整理できたりするし、本当の自分で話せて生きれるのなら、それがきっかけで手にできたものは多分だけど、本当に自分がほしかったものなんじゃないかと予想している。

読んで頂きありがとうございます。