推しがいるかいないか 推しがあるかないか

King & Princeのニュースを観て、
悲しむファンを目の当たりにした事をきっかけに
「推し」の強さを感じた。

わたしには固有の「推し」がいない。
おっかけもした事がない。
だけれども周りの女の子は結構自分の「推し」
を持っていてそこにベットしている子も本当に多い。

この
推しがいる人間と
推しがいない人間の違いって何なんだろうと。

広くさまざまな文化を取り入れる傾向強い日本だからこそ、k-popアイドルが普及されていったという現状がある上で、日本の大衆文化は物凄く根強い。

それは大人しく慎ましい日本人独特の遺伝子の反響ではないのかと思う。誰かを応援する事で自分が頑張れたり、そこに生き甲斐を見つけることができる。一種の特性なのではないだろうか。

一方でそんなことには無縁に生きてきた人間もいる。
そういう人はモチベーションを人ではなく、食べ物や行動に昇華しているではないだろうか。私だったら美味しいご飯やチョコレートを食べたり、絵を描いたりして気分を上げたり、そういう無意識的な行動に、日々の心のバランスを委ねているのだと思う。

なんとなく自分が大好きなチョコレートが
製造廃止になることを想像してみた。

辛い。

なるほど。
推しがいて欲しい場所から
いなくなるとはこういう気持ちか。

その感情を付与する物体が
感情を持つものであれば悲しむのは尚更だ。
人であればもっとズブズブになるんだろう。
もっと喜怒哀楽フル稼働して愛情がうまれるんだろう。
強い。
片想いの絆。

築いてみたいような。
そうでもないような。

私は今のところ感情のない物体の「推し」で充分だ。

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