過去の痛みはあなたの願いが隠れているサイン
ひとつ、過去をおもいだすワークを実践してみました。
「寂しさ・怒り」を感じた経験を3つ書き出すワークです。
しかし、その前の日には
「喜び」を感じた経験を3つ書き出すワークも行いました。
これを読んでいるあなたは
どちらの方がスッと思い出せて
書き出せそうでしょうか?
これも人それぞれ。
「喜び」の方が思い出せるかもしれないし
逆に「寂しさ・怒り」の方がどんどん出てくるかもしれない。
今回は
この「寂しさ、怒り」を思い出して書き出すワークを
行ったわたしなりの解釈と気づきも含めて綴っていきます。
そして、この
「寂しさ・怒り」は「痛み」に繋がっていることを
大前提にお話ししていきます。
「痛み」を思い出す時、あなたは素直に書き出せますか?
わたしはNOです。
思い出すだけでも嫌な気持ちになり
言葉にするならば
涙が溢れてくることもあります。
中学生までの頃の「痛み」
わたしの両親は喧嘩ばかりで
警察沙汰になるほど酷かったのです。
父の首からは血が流れ出し
家の中ではガラスの灰皿が飛び交い
家中はぐっちゃぐちゃ。
寝ていた妹や弟たちも
起きては衝撃的な光景に大泣きする真夜中。
それを思い出すだけで
わたしは過去の痛みで自然と顔が歪みます。
高校生の時の「痛み」
喧嘩ばかりの両親でしたが
父の暴力や暴言に耐えれなくなった母は出ていき、
しばらく母は帰ってくることがほとんどありませんでした。
わたしが高校3年生の頃
長女であり
下に妹や弟が5人いましたので
選択肢は「就職」しか余儀なくされていました。
就活をしていた頃
家に1通のハガキが届きます。
「ご出産、おめでとうございます」
そのハガキを見ていたのは
わたしと父のふたり。
顔を見合わせました。
「どういうこと・・・?」
次の日
学校が終わり家に帰るまでの帰路
わたしは母に電話をかけました。
家を出て行った母は
別の男性の家で過ごし
その男性との子供を身籠もり
出産したそうなのです。
離婚もしていない。
何も聞かされていない。
居場所もわからない。
そんな状況での突然の母親からの事後報告。
住民票も全て
我が家なので、その通知のハガキは
我が家に届いたということです。
わたしが
一番最初に思った感情は
「これ以上、こんなひどい仕打ちを受ける子供が増えてしまうのか」
でした。
悔しくて悔しくて
涙が止まりませんでした。
子供に罪はありません。
これは
わたしがずっと真面目に生きてきて心から
「世の中は不公平だ」
と感じていたから。
真面目に学校へ通い
真面目に勉強をして
成績だって上の方
運動だって上の方
生徒会長だって
部活のキャプテンだって
部活にかかるお金だって
部活後に夜遅くまでバイトして稼いで
家にもお金を入れていた
全部、真面目にやってきた。
友達からも
そんなに嫌な家なら
家を飛び出して不良になってもおかしくないのに。
そうやって何度も何度も言われましたが
わたしが道を外してしまったら
下の妹や弟たちが
どうなってしまうのか
不安だった。
さらに、そうしてしまったら
親と一緒になってしまう気がして
絶対にできなかった。
自分が真面目に生きていれば
どこかで和解できてしあわせになることができる
と心のどこかで
願っていたんです。
しかし、電話口で聞こえる母の声は
「ママはどうしたらよかったの・・・」
と泣きじゃくる母の嗚咽と弱々しい声。
どうして、
どうしてわたしに答えを求めているの?
子供はどんなに頑張っても
親についていくことしかできないのです。
大人についていくことしかできないの。
どんなに早く自立したくても
親の言いなりにしかなれないの。
そう思っていたわたしは
「わたしは嬉しくない、我が家は誰も祝福できない」
「その子の誕生を祝うこともできない」
「その子は、大きくなったら、(不倫でできた子がわたし?愛されていないの?誰かに憎まれて生まれてきたの?)そんなふうに思うかもしれない。どうしたらいい?どうしたらよかった?自分のことばかりじゃなくて、目の前のこどもの幸せを考えてよ!」
と怒鳴りつけ
電話を切りました。
悔しかった。
その子には何も罪はないけれど
わたしはその子の誕生を喜んではいない。
でも、子供は悪くないの。
このどうしようもない感情に
わたしは言葉が出てこなくて
ひたすら涙が流れました。
この痛みは
今でも一生忘れません。
社会人になってからの「痛み」
これはわたしが社会人3年目あたりの21歳の時でした。
早朝、父から電話がかかってきて
「健ちゃんが、死んだ」
という一言。
私の一個下の弟です。
20歳という若い年月で
この世を旅立ちました。
これは、今回書き切れる内容でもありませんので
詳しくは伏せますが、本当にわたしの今までの人生で
1番の「かなしみ」「痛み」になる出来事です。
しばらく仕事も手がつかず
接客中に涙が出てくる日が続き
バックヤードに逃げて泣いていました。
この過去の痛みを思い出していくと
わたしに共通するものがありました。
「痛み」から気づくわたしが大切にしているもの
それは「家族」です
必ず近くにいて
縁を切りたくても切れない。
わたしの命があるのは「家族」がいるから。
だからこそ
家族の絆を大切にしたかった自分に気付いたのです。
わたしは本当は「大学にいきたかった」
わたしは本当は「デザイン化の高校に行きたかった」
わたしは本当は「テーマパークでの仕事をしてみたかった」
そんな自分自身の本音を
ただただ穏やかに
「そうなんだね、そう思ってたんだね。いいよ。」
って「親」に聞いてほしかった。
「親」に「いいよ」って言ってほしかったんです。
それができない環境と関係性だったからこそ
ずっと自分の「理想の家族」を
描いては裏切られ
描いては希望を無くし
「願い」を閉じ込めていました。
痛みとは願いを裏切られた経験
今回のワークの中で印象的な菱谷さんの言葉があります。
「痛みがあるということは、願いが裏切られたということ」
その痛みに「本来の願い」が見えてくるはず。
わたしはどんな願いを叶えた人生にしたいか
どんな気持ちも想いも必ず受け入れてもらえる人生
家族で笑ってしあわせに過ごす人生
そんな願いが自分の中で大きいことに気がつきました。
わたしは今
4人の母です。
こどもたちの
「やりたい」「こうしたい」「やってみたい」
を否定しない。
必ず最初に肯定できる母でいること。
そして
家族の絆の大切さをずっと胸に刻んで
生きていたい
改めてそんな気づきがありました。
まずは近くの人たちを大切にする
そんなわたしでいたいです。
だからこそ
これからの活動や仕事仲間へ友達にも
まずはどんな話でも
受け入れる
どんな話も「そうだよね」と言ってあげられる
わたしでいたいな、と思っています。
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実践ワークはICOREキャリアスクールから
実践しているものです。
(ICOREキャリアスクールより)
Thank you /