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生きるを選んでいた時

昨日、日本にいるタロットの師匠と先輩とZoomをしていた時に、私が今までの人生で死にそうになったことが多い話になりました。

関節リウマチで全身動かなくなった時

ケアンズでの車の事故

シドニーでの車の事故

1型糖尿病と診断されたのに治療を拒んでいた時

最後の免疫疾患で1型糖尿病と診断された時ですが、生きていくために必要なインスリンも身体からでていなかったため、39キロまで痩せて髪の毛は抜けていきました。お医者さんの言う事も夫の言う事も誰の言う事も受け入れられず、ただただベジタリアンの食事と散歩を続けていました。

ちょうどその時に家に来てくれたタロット先輩カオリさん、そのことを書いたのはこの記事ですが、実はその時に私が忘れていたすごいことがありました。大きなことだったのにすっかり忘れていてそれにもびっくり。

メタトロンをしてくれたサイキックなミチヨさんのお宅でおばあちゃんが視えて嬉しかった私、でもその後夢を見ました。

86歳で亡くなったときの姿ではなく、50代くらいのふっくらしたおばあちゃんが私に優しく

「そんなに辛いなら私と一緒に行こうか?」

と聞いてくれた夢です。その時、ちょっと考えて私はまだやることがあるのでまだ行けないかなと答え今に至ります。それって一緒に行くのを選んでたら今いないかも。

タロットの先輩カオリさんと一緒による散歩をしていた時に、すっと西洋医療も必要なのかもしれないと受け入れることができてインスリン注射をしようと前向きになれた時でもあり、びっくり。

次の日に、専門医に電話してインスリンをうつことを受け入れることを伝え、用意していた注射をうちはじめました。が、既に診断されてから2か月近く何もしてなかったこともあり、ギリギリだったようです。

専門医に電話した日に、いつも助けてくれる叔母からとても緊張した声で電話がありました。叔母が懇意にしているお寺、大師寺の住職が私が危ないので、できるだけ早く日本に帰ってくるように言ってるという話でした。

そこまでとは思ってない私は最初軽く聞いていましたが、本当に日本に帰ることが必要なんだよと説得され、とりあえず夫が帰ってきたら話すことになり、その後話して近々帰ろうと決まりました。これもトントン拍子に決まりびっくり。必要な事はスッと決まります。

そしてこの次の日、私の身体は限界だったようで救急病院に行くことに。

夕方突然動悸が激しくなり、目の前が全て二重に見えてきました。必死に血糖値を測りますが、機械が高すぎて測れないと表示されます。初めて見た。
これはやばいと思い、専門医(当時私が不良患者だったため携帯番号を教えてもらってました)に電話するとすぐ出てくれました。

「落ち着いて聞いて。すぐに救急車を呼んで〇〇ホスピタルに行って、僕が治療を連絡しておくから。明日の朝に行くからその時会おう。」

え!そんなに急なんですか。3人の子どもたちがいるのでどうしようかと思っていたら、すぐに夫が帰宅したので車で救急に連れて行ってもらい、トリアージナースに詳細を話したらすぐに中に入れてもらいベッドに寝せられました。

そこから点滴をしたり色々測ったりして落ち着いたのは夜中2時。ベッドがいつも足りない救急病院だからか、だれか迎えにきてくれる?と帰るよう促され、夫に来てもらって無事帰りました。オーストラリアあるあるか・・。

おかげさまでそこからは1日に2種類4回インスリン注射をうつようになり、実家に帰ってメンタル面も落ち着くまでゆっくりすることができました。

その後仕事ができるようになったり、インスリンポンプにして普通の生活が送れるようになったりと、今が一番元気かもしれません。

人生いろいろですが、完全に私の力だけでなく生かされているので、きっと何かやることがあるのだと思います。

今現在、既にボーナスのような人生なので、占い師も楽しみたいです。

皆様の今日も素敵な日になりますように♪


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