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予期していない事

シドニーに引っ越した夫と私。久しぶりの都会生活に心躍りました。この時は今の恐ろしい物価高と違ってまだ家賃もリーズナブルでした。まだ1Bedroom+Study roomで週$350くらいだったかな。今だと倍以上。

同じ日系航空会社で働けるようになり、夫と二人楽しく都会生活を始めてしばらくして、身体に異変を感じました。

朝起きると手の指がこわばる、ペンが持てなくなり、髪の毛を結ぶのに腕が上がらなくなる。足首、手首に痛み。

突然のことに驚き、友人に日本語を話す女医さんを紹介してもらい診てもらうも、まだ関節炎にしては年齢が若いということで不明のまま。

あまりにも治らないので日本でセカンドオピニオンで見てもらうことにMRIを撮ったり血液検査などしてもらったところで関節リウマチと診断されました。ショック。

そして診断が下りた後に長男妊娠がわかる。

これが、また義理の弟の結婚式の日で、次の日から友人の住むニューヨークに遊びに行く日でした。ドラマに溢れすぎている・・。

忘れもしない新宿の婦人科クリニックで、どうしようか悩む私に先生の言葉が刺さりました。

「6週の時期の場合、行くにしても行かないにしても流産するときはDNAなどの問題で、旅行のせいではないのであなたが後悔しない決断をしたらいいよ。」

とりあえず夫と母にだけ連絡しニューヨークに行くことを決断。この後子どもが3人になったりして一人の長旅はいけなくなったので、英断だったと思います。

ニューヨークから成田経由でシドニーへ帰る飛行機で何も言ってないのにビジネスクラスにアップグレードしてもらえたのは本当に神様からのギフトだったと思います。こういうの一人旅のラッキー。

当時、オーストラリアの医療をあまり信じていなかったのとビジネスビザだったこともあり(オーストラリアで生まれても子どもは親のビザと同じになる)日本で出産し、またシドニーへ帰りました。

出産後にひどくなると言われていた関節リウマチですが、産後10日目に朝全く身体が動かず起きられないことにびっくり。動かそうとすると激痛。そのまま夫と母に起こしてもらい着替えさせてもらって病院へ。関節に注射を打ってもらい投薬を始めるため母乳を中止。

赤ちゃんを抱っこできない事、身体が痛い事、何もできない辛さで毎日泣いてました。薬が効き始めるのに時間がかかりやっと2か月後にシドニーへ帰ることに。

返る前にお宮参りは実家で。実家は神道系の教会をやっておりそういう時は便利です。神様のおまつりが月に何度か定期的にあったり、そういう時には祖母や父などがお装束を着て祝詞をあげるのが私にとっては日常でした。

シドニーには母が最初来てくれて、その後妹が来てくれたのですがその間に1か月ほど期間があり産後鬱でやばかった私のために航空会社の先輩が家事をしにきてくれたり食べ物を作ってくれたりしてくれて本当に助かりました。長男をお風呂にも入れてくれたなー。

あの時助けてくれなかったら私も息子もどうなっていたのかわかりません。
夫もかなり協力的でしたが仕事が忙しすぎて早朝から夜まで帰れない日々。ベランダから落ちないように出ないように言われていました。

そんな息子も昨年高校を卒業し現在ギャップイヤーを満喫中です。本当に夫、母、妹、先輩など周りの方のおかげです。ありがたい。

この時はまだスピリチュアルなことに意識する時間など考える暇もなく鬱から普通になるのに必死だったように思います。

そしてまた運命のケアンズへの引っ越しになります。子どもがいたら楽しくなるかなと思った私は甘かった・・。


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