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『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』を読んで

 この本の好きなところが三つある。

 まず一つ目はタイトルだ。目が「見えない」のに「見にいく」。「沈黙が騒がしい」みたいな、一見矛盾する表現が好きだ。私は「アート」と聞くと美術館をイメージする。もう少し具体的には、展示されている絵画や彫刻を想像する。それらは、基本的に触っちゃいけないものだし、音も出なければ匂いもない。「アートを味わう」と言っても、口に入れてモグモグするわけではない。想像力が足りないからかもしれないが、私の「アート」は、視覚だけで完結してしまうのだ。そんな「見る」ことに特化した「アート」の世界を、視覚を失った人が体験する。果たしてそんなことができるのだろうか、できるとすればどのように「見る」のだろうか。

 また、誤解を恐れずに書くと、白鳥さんの名字に「白」という色が入っているのも面白いと思う。白鳥さんは「白」を知っているのだろうか、知っているのならどうやって知ったのだろうか。これらの答えが全て書かれているわけではないが、おそらく白鳥さんは「白」を知らない。というより、私たちの知っている「白」ではない「白」を、白鳥さんは知っているのだろう。

 「アート」に詳しい方にこの本を薦めてもらった。だから、自分でタイトルを見て買ったわけではない。でも、たまたま書店で見かけていたとしても、少し立ち止まって、本の中身を考えていたと思う。ふんわりとリボンを結んで、問いをプレゼントしてくれる、そんな魅力のあるタイトルだと思う。


 二つ目は装丁だ。「おいおい、読書感想文なんだから、読んでの感想書きなさいよ」という、夏休みの宿題への先生のコメント的なものは一切お断りである。いや、「それも受け入れてほしい」というメッセージがこの本には込められている。だから、今だけ3分くらいは受け入れてみようかなとも思える。

 さて、装丁についてである。ブックカバーは白地で、タイトルは赤字、イラストは赤と黒で描かれている。三人の人物がいて、真ん中の人から「なにが見えるか教えてください」という吹き出しが出ている。この人がおそらく白鳥さんで、上下とも白い服を着ている。また、赤と黒の二色しか使われていないので、黒で塗りつぶされた大きな四角が、白鳥さんの見ている作品であることがよくわかる。タイトルに「アート」が入っている本だけあって、装丁もステキで好きだ。


 最後に三つ目は白鳥さんだ。

 目が見える / 見えない、過去 / 未来、わたし / あなた。さまざまな「/(線)」がある。言葉にも国にも文化にも、全てに線が引かれている。ときどき、線は差別や犯罪の引き金になる。線を完全に消すことはできないし、消したら消したで文字通りのカオスになるだろう。ではどうするのか。

 白鳥さんは全盲だ。障害者である。障害者は時として差別の対象となり、「健常者に近づくことはいいことだ」と言われて育つ人もいる。白鳥さんも、『目が見えないんだから、ひとの何倍も努力しないといけないんだよ』と言われてきたという。どうしようもない線引きだ。「じゃあ、健常者は努力しなくていいのか」という疑問を抱きながら、白鳥さんは生きてきた。

 そんな白鳥さんが、『ほとんどの人になんらかのレベルで優生思想があるんじゃないかな』と言っている。私はこの言葉に救われた。自分には確実に優生思想がある。「こんな感覚を持っていてはいけない」と、思えば思うほど増大してしまう、ネチネチしたイヤな気持ちだ。

 それがあるのは当たり前だと白鳥さんは言う。その線はスタートラインだと。ありがたい言葉だ。だったら、私はやっとスタートしたのかもしれない。「ゴールのないゴール」へ向けたスタートだろう。すごく不安だ。ただ、これからやることは決まっている。

 まずは、「受け入れる」ことから始めよう。

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