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【短編】僕の妖精

僕と君は病院で出会った。
まだまだ僕らが小学校の低学年だった頃。
その頃の僕は頭がハッピーというか妄想力が屈強というか、
そんな感じで精神科医に通っていた。
まったく、妖精が見えるくらいでうちの親は騒ぎすぎだ。

そんなことは置いといて、彼女は盲腸で病院に入院していた。
偶然話す機会があって、二人が同学年で同じ学校どころか
本当に近所に住んでいることがわかった。
それからは二人は親友のようだった。

僕の治療も終わり、彼女も引退してからはよく一緒に遊んだ。
まあ、幼馴染って言ってもいいと思う。
小学校でも中学でも、その関係は変わらなかった。

僕は中学生2年生くらいになって気付いた。
僕が彼女を好きになっていることに。
でも、いままでの関係が枷になって、告白はできずにいた。


彼女は中学卒業を目の前に、交通事故に遭った。
昏睡状態に陥り、生死の境を、さまよった。
数日後、少しだけ目を覚ました彼女は、苦しそうに、
僕に「好きだよ」と呟いた。
「僕もだよ、僕もだ・・」
涙を流しながら僕が繰り返すうちに、彼女のまぶたは閉じた。


翌日、再び目を覚ましてからは、君は見る見るうちに回復していった。
君が退院して以降、毎日が楽しかった。
互いの家を行き来し、ずっとなんてことない話をしたり、
僕のゲームの腕前を横で君が笑って見ていたり、そんな日々だった。
僕の家に彼女が来ると母さんは心配そうな顔をよく見せた。
でももう大丈夫、彼女は治ったんだ。

彼女の家に行けばおばさんは少し弱ったような疲れているような顔で僕を迎えた。
2階の部屋まで行くと君はいつものように椅子に座っていた。
「おばさん元気ないんじゃない?」
「うーん、本当にどうしたんだろ。心配だよ」
そんな話から始まって、またいつものように他愛無い話をつづけた。

二人で町を歩くと人々が僕らを横目で見ては過ぎていく。
確かに君はかわいいから、しかたないね。
君とだけいるようになると友達との距離は次第に遠くなっていった。

ある日君の家に行っていつもどおり話していたら、
珍しく君のお父さんが部屋に入ってきた。
普段は仕事でいないから、そう会う機会はない。

「君の娘を思う気持ちはありがたい。」
その後ろでおばさんが「やめて」としきりに訴えかけている。
君の方を見てどういう状況なのか教えてもらおうとした。
でも君は笑顔を失い俯いた。
頭が揺れた気分だった。

「どこを見ている、こっちを向け!」
おじさんの言葉にいっそうわけがわからなくなっていく。
「君は覚えていないのか!」
僕がなにを忘れているというんだ。
再び答えを求めて君を見ても、君は顔を上げようとしない。
「あなた、やめて!」
おばさんはなにを止めようとしているんだ。
「もう、これ以上私と妻を苦しませないでくれ!」
僕が二人を苦しめている?

「娘はもう、死んだんだ」
思考が回らない。
なにを言っているんだ、おじさんは。
自分の娘を目の前にして、なにを考えているんだ。

「あの交通事故の数日後、あの子は病院で、死んだんだ」
バカな。彼女はあのあと一命を取り留めて、完治したじゃないか。
現に今僕の隣には君がいる。
俯いたままの君の頬をひと粒の涙が滑って落ちていった。

おじさんの表情がひどく辛いものになっていく。
「もう・・・」
―――言うな―――
君の目からはぼたぼたと涙が落ち続ける。
「君の隣に・・・」
―――それ以上―――
落ちた涙がカーペットを濡らし染みを浮かばせることはなかった。
「あの子はいない」

その瞬間目の前から、あの日より後の記憶から、
君がもろく、音を立て崩れていった。
姿を失っていく君は、顔を上げると涙に濡れた笑顔で僕を照らして、
そして消えた。
「あ、ああ・・・」
崩れる、崩れていく、君の全てが。

君が来たといって扉を開けたときの母さんの心配そうな目。
――母さんは君を失った僕を思い、子供の頃のように僕を病院へは連れて行けなかった。
君の家に訪れた際のおばさんの疲れきった顔。
――おばさんは本当のことを言えずにいて、ずっと僕がおばさんの悲しみを煽り立てていた。
町に出て歩いた日のすれ違う人たちの視線。
――町を一人で歩き身振り手振り喋っている者がいれば誰もが不思議がる。
学校で僕から離れていった友人たち。
――独り言を言い出した僕に近づきたくなかったから避けるようになっていった。

全ては僕が原因だった。

僕は忘れていた。
いや、自ら忘れようとし、そして記憶を都合よく組み替えていた。
僕は一人だった。
町でも、学校でも、そして生前のまま残された君の部屋にいる間も。

最も忘れてしまいたかったこと。
同時に最も忘れていはいけないこと。
それを忘れてしまっていた。

僕は自分を誤魔化し続けた。
見ることのできない君を見、話すことのできない君と話し、
触れることのできない君の手を握った。
そう錯覚し続けた。
何も見えず、一人で対話し、空を掴んでいただけだったのに。

全てを、思い出した。

「あ、・・・があっ、ぐうう。・・・ぅう!」
口からは抑えることのできない嗚咽が漏れ、
目からは止めることの出来ない涙が溢れた。


集中治療室で君は目覚めた。
医療機器が医師に警告を発する。
白衣の人間たちだけでなく、君の両親と僕にも等しく焦りが生じる。
まぶたがかすかに開くと、焦点の定まらない視線は宙を漂いやがて僕を捉えた。
「わかるか?」
君はとても苦しそうで、見るに堪えなかった。
その血の気を失った唇が小さくわななく。
酸素を取り入れるためのマスクが少し喋りにくそうだった。
「好、き・・・だ、よ」
命の危機に瀕している少女の言葉に僕は驚愕しつつ、
しかしそれ以上に、泣くほどに嬉しかった。
「ぼ、僕もだよ、僕も好きだ・・・!」
「よ・・かっ、た」
「きっと、きっと治るから。そしたら二人で一緒に町を歩いて、
 僕の家でゲームして、学校でも思いっきりいちゃついて、
 それから、それから―――」
堰を切ったように口から望みがあふれる。
君は「うん」と、最後の力を振り絞るかの如く
穏やかに満面の笑みをみせた。

僕は治療室を出され、医師たちの処置が始まる。
しかしそれが死から彼女の命を掬い上げることはなかった。


二人の気持ちが繋がったその日に、彼女はこと切れた。
僕は一人で君の部屋に佇んでいた。
幼馴染として、友達として訪れたときと何一つ変わらず整った部屋。
あの後僕が君の事を思い出すと、おじさんとおばさんは何も言わずに出て行った。
夕日が部屋を赤く染めているのに気付くまでには時間がかかった。
何時間こうしているのだろう。

それまで嘘の記憶が埋まっていたところ。
そこにはただひたすらに空虚があるだけ。
もう、僕の隣に君はいない。
「あ、あ・・・、
 っ、うあああああああああああ!」
僕の心に君はいない。
それまでの君との記憶を自分自身で塗り替えてしまったのだから。
「――ああああああ、あ・・あ・・・」
僕はようやく力なく立ち上がった。
もう夜になりつつある空。
僕はあのころ、精神の病だった。
「妖精さん、僕を・・・」
天井を仰いで呟く。
「僕を、彼女のところへ・・・連れて行って。」

ふらりふらりと、今にも倒れそうな動きで窓を開ける。
「月が、きれいだね。満月だ。
 なんとなく君に会えそうな気が、するよ。」
白い光の中から小さな人の形が現れる。
「久しぶり、妖精さん。」
妖精は窓の外から僕に手を差し伸べる。
僕はそれを掴もうと身を乗り出す。
「早く、彼女のところへ・・・」
体が拠り所を失い、宙を舞う。
落ちるよりも早く僕の手が空に浮かぶ手に届く。
僕はそれを精一杯に握った。

妖精など存在しない。
そう人は言った。
でも僕には見えた。
話だってした。
だけど彼らに触れることは一度もなかった。

僕の手が握ったのは乾いた空気だけだった。
妖精の手は煙のように散り、僕につかまれることはなかった。
僕は物理の法則にしたがって速さを増しながら落ちる。
体が仰向けにまわった時、頭上で妖精は笑っていた。
僕の顔にも笑みが張り付いていた。

やがて背中が地面に叩きつけられる。
予想はしていたが、しかしそれ以上の痛み。
もはや痛みを感じているかさえ怪しいほど。
呼吸すらままならなくなる。
妖精は体を翻して音もなく飛び去っていく。


――僕を連れて行け!――
――彼女のところへ!――


一瞬の激痛の後、僕は静かに目を閉じた。
寸前、妖精が振り返って穏やかな笑顔を見せた気がした。

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