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まだ空が青いうちに

東京のど真ん中で、ゆっくり露天風呂に浸かれるとは、昨今のサウナブームに感謝である。

ひとり野外で壺湯を堪能しながら空を見上げると
何の星だかは分からないが、一つだけ夜空に星が光っていた。
きっと有名な星なんだろう。

大人になると青空の見え方が変わってしまうと、いつだったか誰かが言っていた。

水晶体黄変と言って、
眼球の水晶体が紫外線の影響により変性してしまうらしい。
白と黄色の区別がつきづらくなったり、
青や紫色の感じ方が変わってしまうのだとか。

きっと今日見たあの青空も、これからの私にとって一番青い空になる。

「人生、今が一番若い」と皆言うが、
“若さ”とは気づかぬうちに去っていくもののような気がする。

今日見た青空が昨日見た青空よりちょっとくすんでいるだなんて、たとえそれが事実だとしても、実際全く分からない。
きっと“老い”もそんなもんなんだろう。私たちは毎日じっくりゆっくりと、経年劣化していく。


その日一日を(個人的采配のもと)、充実したものにできるかどうかは、その日の朝にかかっているんじゃないかと、そんな気がする。

ぐっすり眠り早く起きられた日は、それだけで一日が希望に満ちた気がするし、何でもできる気持ちになれる。


遊ぶのも仕事のうちだと言われ、
夜更かしするより眠ることを促される、そんな子ども達の瞳が今も昔も輝いたように見えるのは、たっぷりと休み、ハツラツとした朝を毎日迎え入れているからなのかもしれない。

本当に大切なのかどうかも疑わしい何かを必死に大切にしようとしながら、何となく眠り、引きずるようにして起きる私たちは、いつの間にか水晶体を濁してしまった。そんな風に、瞳の輝きをいつから失ってしまったのかも気づかない程度の時間は過ごしてきた。

それだから、同じように時間を過ごしてもなお瞳を輝かせる他人を疑問に思うのではなかろうか。


私が空を見上げる時は、いつも決まって“何か”から解放されて、心安らかになれる時だと思う。束の間の休息を求めて、濁りかけた水晶体を使って空の青さを確かめている。


どうせまた次に見る空の青もちょっと霞んでしまうのなら
今無駄に抱え込んでいるしがらみも、悩みの種も、一度全部放り投げて、こうしてお風呂にゆっくり浸かって、少しでも青い明日の空を堪能しよう。そのために、今日はいつもより早く布団に入ろう。私よ、今日もよく頑張った。

そんな事を考えていたら、ちょっぴりのぼせてしまった。


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