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「doの価値」と「beの価値」

「スキルを高めよ!」というメッセージがいたるところに溢れています。広告や書籍はもちろん、会社にいるときにも「評価」というモノサシがストレッチを求めてくる。

そうやってできること(行為)によって見出される価値を「doの価値」と呼んでみる。すると、なにかしているわけじゃなくても、そこにいること(存在)によって見出される価値もありそうな気がしてきます。

これを「beの価値」と呼んでみましょう。


「beの肩書き」に影響を受けた考え方

ちなみに、この考え方は「beの肩書き」で知られる兼松佳宏さんに影響を受けています。


「doの価値」に隠れがちな「beの価値」に注目したい

スキルが重視されることの多い仕事の場面では「doの価値」に目がいきやすいですが、実は「beの価値」がその人の価値の半分以上を締めていることもあるんじゃないかと感じます。

わたしのディスカッションパートナーという仕事で言えば、アドバイスをしたり問いかけをするのは「doの価値」。でも、わたしがそこにいるだけでクライアントの脳のモードが切り替わって新しい発想がしやすい状況になるなら、それはbeの価値。

ファシリテーターは、どんな介入をするかという「doの価値」が重視されがちだけど、その人が存在するだけで場がホールドされることもあるし、そこには「beの価値」が見出される気がします。


「beの価値」の高め方は?

「doの価値」は正しい努力によって高まりますが、「beの価値」のほうはどうでしょう。

「beの価値」はその人らしいあり方からにじみ出るような感じがあります。自己理解がある程度できていて、無理のない自然体でいられると、それが周囲の人にも良い影響を与えて、それが「beの価値」になっているんじゃないかな。


おじいちゃんおばあちゃんの「beの価値」

きっと、おじいちゃんやおばあちゃんにあるのは、beの価値。歳をとって「できること」が減っていっても「いること」はできる。

定年後に再就職する人も「doの価値」で若者に負けたとしても「beの価値」なら負けないかもしれない。

できることが目減りしていく人生の後半に価値を見出すには、このbeの価値への注目が必要だと思って、それは日本の高齢者の割合が高くなっていくことをポジティブに捉えることに繋がるんじゃないかなあ。


「beの価値」は他者を必要とする

自分が特別なにかしているわけじゃないのに、自分がいることで誰かになにかプラスの影響を与えていたら、あなたの「beの価値」がにじみ出ているのだと思います。

でもそれは、自分だけでは分からない。

周りにいる誰かからフィードバックをもらわないといけない。「beの価値」には他者の目線が必要になるので、それを見出して伝えてくれる人がいるといいですね。

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