嗅覚的探索と視覚的探索
嗅覚は曲線的、視覚は直線的
「なにかいい匂いがするな」とその匂いをたどっていくとき、どこに行きつくのかは分かりません。一方「面白そうなものがあるな」とそのものを目指して歩いていくとき、目的地はすでに分かっています。
嗅覚と視覚は、同じように遠くの存在を知る感覚の1つ(聴覚もそう)ですが、目的地へのたどり着き方が微妙に違います。
嗅覚は、その匂いの元がある方角くらいしか教えてくれません。匂いは空気の動きとともに揺れ動くので、必ずしもまっすぐ目的地にたどり着けるとは限らない。
だから、しばらく進んでは立ち止まり、くんくんと顔を動かしながら鼻に空気を取り込んで、また新たな方角を見つけて歩き出す、という繰り返しになります。その瞬間瞬間で行き先を更新していく。
一方で視覚は、知覚した瞬間に目標物への最短経路が分かります。そして、目標物が視界に入れたまま、視界のなかでそのサイズが大きくなるように歩いていけばたどり着ける。
その道程は直線的なものとなり、嗅覚による曲線的な探索とは異なります。
Visionは直線的すぎるときがある
「Visionが大事だ」という言葉を聞くことがあります。例えば企業には必ずといっていいほどVisonがあります。
Visionという言葉には視覚という意味もあり、直線的に、つまり速く効率的に目的地にたどり着く活動(企業活動など)のためには必要になってくると思います。進行方向を決めて足並みをそろえる意味でも、視覚的な「Vision」は有効でしょう。目指すべきはあっちだから、みんなであっちに行こうじゃないかと。
一方で、冗長性や偶然性を楽しむ個人にとってVisionはどこまで必要なのか、ということを考えることがあります。
Vision はあったほうがいいかもしれないけど、一度決めたビジョンに固執することの弊害もあるような気がするのです。速さや効率性を追い求める必要がない活動もありますし。
「Vision」は視覚的で直線的すぎる。もっと曲線的で寄り道しながらその道程そのものを楽しむような、嗅覚をたよりに進むような感覚を表現したい。
Vision じゃなくて Olfaction を大事にしてみたい
だから、わたしは、そういう人には「Olfactionが大事だ」という表現をしてみたくなります。嗅覚の意味で、カタカナ表記ならオルファクションでしょうか。
Visionに比べてOlfactionには目標物がどんなものか、事前に分かりません。一歩踏み出す方角くらいの指針にしかならない。でもそのかわり、曲線的な歩みの中でいろんなことを体験できそうな気がします。
Visionが「どこに行きたいか?」だとしたら、Olfactionは「どちらに踏み出したいか?」を表現している。こっちからなんだか良い匂いがするぞ、行ってみよう、とあるき出す感じ。
そういえば、わたしのOlfactionはなんだろう?
例えば「迷ったらネタになるほうを選ぶ」とか「知的好奇心を満たしつつ、どうせなら人に役立つようにしたい」あたりかなと思いました。
Visionよりもその人らしさが感じられて、親しみが湧きやすい気がします。
ここまで書いてみて Olfaction = Value (価値観)かもしれない、とも思いました。でもオルファクションは価値観よりももっと柔軟というか軽やかな感じがします。
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