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私が生まれてから“FTM”の治療を受けると決めるまで

 皆様こんにちは。クロルと申します。私は現在、FTMの治療と手術を行うためにGIDクリニックを通院しています。
 今回は私がオギャンと生まれてから通院を決めるまでをザックリ記した少し長い話になっております。
 私の情報が少しでも皆様のお役に立てると嬉しいです。では、早速見ていきましょう!


幼児、幼少期(0〜3歳)

 出産日が大きくズレることはなく、体重も3000gと超普通に私は生まれました。3歳までの記憶はほぼありませんが、生まれて100日記念の時、ドレスを着せられて大泣きしている写真が家にあります。親曰く、女の子の服を着せると泣きわめいたそう…この時から片鱗がありますね笑。
 すごくやんちゃで、ドラム式洗濯機の中に入って洗濯機を壊したことがあると親の兄弟から聞きました。今だと考えられない所業です笑。
 鼻の中にビーズを突っ込んだりもしていたそう。鼻の中に物を入れるのは男の子によくいると家庭科の先生がおっしゃってましたので、参考までに。
 そして、「ぼくにはちんちんがあるんだ!」と親に語っていたらしいです。これも記憶にないですが、そんな小さい時から喋っていたのは個人的に衝撃でしたね。これは後から知りました。


幼少期(4〜6)

 幼稚園ではトイレが男女一緒でした。しかし、年齢が上がるに連れて男女が別れていきます。その事に疑問を持っていました。そして、自分が立つべき場所は“ここ”ではなく、“あちら”なのだとなんとなく思っていました。実行はしませんでしたけどね(怒られるから)。
 遊びは、絵を描く、外で駆け回る、積み木やパズル、トミカ…といった具合。人形遊びやおままごとは一切した事がなかったようです。記憶の中でも、人形遊びによる女の子同士の喧嘩を仲裁したことはあれど、一緒に遊んだことはないです。もっぱら喋ってるか、一人で絵を描くかといった感じ。
 遊び相手は男女関係なく遊んでいました。けれど、女の子が多かった気がします。きっと幼稚園側で意図的に男女に分けていたんですね。元々自由な性格なので、誰と遊びたい等は気にしていませんでした。
 この頃、自分で髪を切って親に怒られました。その後も事ある毎にこの件に対して言ってくるようになったので、諦めて髪は伸ばしていました。

幼少期(7〜12歳)

 小学校のランドセルは学校指定のものだったので、生徒全員が黒いランドセルでした。
 ファッションにまるで興味がなかったので、ピンクのジャージやスカート、紫のワンピースを何回か着せられていました。家がかなり貧乏で、親に「金がない」と呪文のように言い聞かせられていたこともあってか、服はボロボロになるまで着ていました。むしろワンピースはお下がりでない新品の服だったので、嬉しかった記憶すらあります笑。年齢が上がり、自分で服を選ぶようになってからはジーパン+パーカーの服を毎日着るようになりました。
 髪はまだ伸ばしっぱなしに。親に「長い方が良い(似合うからではなく、女の子らしいからという意味)」と言われ、すごく嫌でしたが、伸ばしていました。当時は「もし切って親に嫌われたらどうしよう」という子供心と「また切って怒られると嫌だ」という後ろ向きな思考が邪魔をしていました。ちなみに、小3の時に一度だけ短くしましたが、親に「短い方が良かった」と言われ、友達からも「誰?」と言われて(冗談とはいえ)中々に傷付いたので、それ以来、髪は高校まで切らなくなりました。
 遡りますが、小1の頃、スーパーの女子トイレにて立小便をし始めます。スーパーのトイレには奥側の壁の真ん中に立小便出来そうな便器?があります(今は分かりません)。そこで下半身を脱いで立小便チャレンジ。中々良かったと思います。しかし、途中で親が来てチャレンジはたった一度で終わりました。
 小2の時、友達に「僕は〜」と話して「僕っておかしくない?それ、男の子の喋り方だよ」と言われてから一人称は出さなくなりました。
 トイレは毎日朝と帰りに家でする生活でした。掃除以外で入ることはほとんどありません。当時、女子トイレが明確に嫌だという意識はしていませんでしたが、無意識で嫌っていたのでしょうね。おかげで帰宅中漏らしたこともあります。子供なのでセーフです。
 プール授業がありましたが、泳ぐのが好きだったので毎回しっかり参加してました。水着は低学年の時はなんかヒラヒラしてたような記憶がありますが、買い替えの時、ズボンタイプにしました。
 修学旅行。この時にはすでに性自認が男でした。集合写真でヤンキー座りしています笑。静かなる抵抗です。風呂に入るのが嫌でしたが、抜け道(バックれる、時間をズラす)が出来なかったので、普通に入ることに。この時のことはあんまり覚えていません。思い出したくありません笑。
 さん付けで呼ばれることに違和感を覚えたり、列分けで女の方に並ばされたりと学校生活に不満はありました。しかし、当時は自身が異分子であることを自覚しており、悪目立ちしたくない想いが強かったので心を無くして生活していました。


中学時代

 制服はスカートしかありませんでした。上もネクタイでなく、リボン着用。クソほど嫌でしたが、ズボンが履ける訳でもないので心を殺して登校していました。当時、自分の姿を鏡で見れてはいません。写真も撮らせなくなりました。
 髪は切れなかったので、お笑い芸人の笑い飯西田さんやパンサー管さんをリスペクトして後ろに結っていました。ジャンプ作品もよく見ていた影響もあり、男が髪を結っていても偏見は持っていませんでした。
 そして、この時から胸を潰すためにサラシを巻き始めます。下着もスポーツタイプのプーマやアディダスのパンツを履いて過ごしていました。
 小学校の時は男女分け隔てなく友達がいましたが、中学に上がり、男友達とは縁をバッサリ切りました。仲良くしているところを邪推する人が出たからです。正面切って「(男友達)のこと好きなの?」と聞かれた時は理解できなくてしばらく何も言えませんでした。おかげで会話を交わす人がぐっと狭くなっていきました。
 修学旅行は個室に風呂があったので、そこを使用していました。貧乏だったので、大浴場に入りたいという気持ちがめちゃくちゃ強かったですが、結局行きませんでした。
 トイレは相変わらず朝と帰りのコースでしたが、修学旅行中、ある朝の日に並々ならぬ事件が起きます。

 _ 人人人人人人人人人人人人人 _
> 同室の子がトイレから出てこねぇ <
 ─Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

 小便したいタイミングで部屋のトイレに入られ、そのまま食事の時間に。自由行動が出来ない日だったので、その日は夕方の一日のみ用を足すという膀胱ハードスケジュールでした。今でも膀胱を気にしながらホテルへ向かった日のことを3日前くらいのことのように思い出せます。膀胱パンパンすぎて逆に我慢出来ました。帰って出した小便は過去一長かったです。10秒は軽く超えてました。人間ってすごいですね。

高校時代

 高校はズボンを履けるところを選びました。おかげで、毎日ズボンで登校できました。上もネクタイだったので、制服は満足。
 当時、中学時代よりユニセックスやLGBTの情報が広まり、ファッションや流行もユニセックスよりになっていた影響か、女子でも髪が耳まで露出する子が多かったです。その髪型を見て「今度こそいける!」とボーイッシュな髪型を1000円カットで注文したところ、親が「ダメ!首までにしなさい!」と横やり。そこの美容師さんは困惑していたものの、親の言うことを聞いてしまい、髪型はショートで終わりました。具体的な注文を出来なかった私も良くなかったですが、仕上がりに絶望的してその日、どうやって帰ったのか記憶が全くないです笑。結局、また親に「長い方が良かった」と言われながら高校時代はショートで過ごすことになりました。
 修学旅行には行かず、宿泊研修の時は風呂に入ったフリをしてました笑。最後に出ていく人に「後で入る」と言い、髪を水筒の水で濡らし、タオルを首にかけて誤魔化しました。一番に戻って来た子に「シャワーだけ浴びてきた」と伝えて何とかなりました笑。まだ顔を覚えていない同士だったおかげで何とかなったんだと思います。
 中学時代は男になることに固執し「自分は絶対男だ、手術するんだ」という強い意志に囚われて精神を少しやってしまいましたが、高校時代はあるキッカケで性自認をXジェンダーと改めて生活していたので、中学時代より友達が増えました。Xジェンダーと据えたことにより、性別に関連する生活は窮屈さから開放された楽なものへと変わります。
 しかし、それは社会に出てから終わりを迎えました。


社会人

 家にお金がなく、習い事や塾に通った経験なし、将来の夢やモチベーションなしの人間が選んだ道は大学でなく、会社でした。履歴書の男女の丸付けに悩まされる日々。「社会人のマナーは男女に別れすぎている」と嫌悪感に苛まれていました。手の置き方、座り方、化粧、靴、髪形。求められるものが多すぎて、就職活動中は嫌悪感をどう最小限にするかに集中していました。スーツはもちろんズボンです。しかし、レディーススーツで仕立てられました。
 選んだ会社は男の割合100%(事務等を除く)の製造勤めでした。個人的には「やっと男社会にいける」と晴れ晴れした気分で入社し、最初こそ楽しかったですが、段々と齟齬が出てきます。当然です。相手はこちらを男ともXジェンダーとも思ってないですから。女社会の物差しで見られていました。
 化粧していないことを指摘される、メンズが身に付けるようなもの身に付けていると話のネタにしてくる、女性社員用の作業をしていると「似合ってんね」と言われる、“重いものを持ってあげる”という要らない気遣い、会社内で製造業の女性社員開墾の第一人者にさせられる─挙げたらキリないですが、会社の人達はこちらのことを全く知らないので仕方がないです。悪気はないですから。
 そう、分かってはいますが、やはり耐えられるものではありません。何もせず男社会に飛び込んで失敗し、私は体調を崩しました。
 最悪なことに、月一の忌々しいアレの具合もストレスと体調不良により悪化し、人生で一度も味わったことのない下腹部の激痛でほとんどを会社のトイレで過ごすことに。会社のトイレが臭すぎて空嘔吐を死ぬほどしてました笑。
 アレの週間でなくとも、頭痛と腹痛が酷くて脂汗ダラダラ顔面蒼白で仕事に。貧血にもなっていたので、時々、目が真っ暗&耳が聞こえにくくなるという失神手前の症状にも見舞われながら、働いていました。
 そうして追い込まれた結果、無事、家出をしました!


決意

 家出をしたのは冬だったので、手足を冷たくしながら車で野宿していました。とにかく、人と逢いたくなかったので、人気のない田舎まで何時間も車を走らせて知らない土地へ。車を長時間停めても迷惑にならなそうな道で睡眠を取りながらカロリーメイトと水で空かない腹を満たしつつ過ごしていました。小便は原っぱに還元。会社と家から鬼のように電話とメッセージが着ていましたが、無視して心を休ませることに集中しました。
 わずかな休息の中でやりたいことを明確にし、自分のために生きることを決意。退職届けを出して会社を辞めました。
 そして、自問自答していくうちに私は“Xジェンダーではなく、FTMだ”という結論に至り、ネット情報を頼りにGIDクリニックに通う手筈を整えました。現在、通院中です。
 自分でいくら男だと確信していても、周りは男としては扱ってくれません。人間なんて殆どが自分の以外の人間に興味を持ちません。みんな、言われなければ分からないのです。当たり前です。周りの人は神などでなく、ただの人間ですから。見た目が男でも戸籍上で簡単に区別されてしまいます。
 自分の望む人間になるために、私は手術することに決めました。皆様はいかがでしょうか。

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