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「厳しい修行の日々」と「自由な日々」どちらが幸せか

単身赴任となり、1年と3か月が過ぎました。職場まで徒歩10分の場所にアパートを借りることにしました。引っ越し費用として契約金や家具に家電と、かなりのお金をかけました。その分、充実した日々にしようと決めたわけです。

朝活として、起きてすぐにクイックルワイパーでフロアを掃除し、ヨガマットを引いてヨガ、筋トレを自らに課しました。そして、ラーメンどんぶり一杯分、生野菜を食べる生活を続けました。すると、健康診断の結果が驚くほど改善しました。ものすごくうれしい気持ちでした。

続けることは本当に難しいことです。それでも4月から始めて、11月までは続けたのでした。しかし、冬の到来とともに、あまりの朝の寒さにこれらの活動はすべて断念してしまいました。

そしてまた春が来て、さあやるぞ!となりましたが、昨年のようにがんばれません。こんな自分ではいけないと奮起して、非常に面倒くさいのですが朝活動を再開することにしました。

すると、どうでしょうか…。この充実感。満たされた幸福感。最高に気持ちがよいのです。きめられたことを、きめられたようにやる、というのはどうも聞いた感じはよくありませんが、でも、とても幸せを感じたのです。
そういえば、今読んでいる本の中にこんな研究の結果がのっていました。

2年間で600人を超える信徒にインタビューをして、9つの宗教を、多くの日常的な規則を課す原理主義、保守主義、最も規則の少ない自由主義の三つに分類します。そして、宗教が生活に与える影響や楽観度に関する調査を行います。すると、結果が驚くべきものになりました。原理主義に分類された宗教の信徒は、他の分類に比べ、宗教により大きな希望を求め、逆境により楽観的に向き合い、うつ病にかかっている割合も低かったのです。彼らは自由を制限されていたにも関わらず、「自分の人生を自分で決めている」という意識を持っていたのです。

「選択の科学」シーナ・アイエンガー著

自分で自由に選択し、判断できる人たちの方が一見幸せそうですが、こと宗教が生活に根差している方々に関してはそうではなかったわけですね。ここには、「幼いころから信仰をもち、この戒律を果たしていくことで幸せになれる」というような信念が生活とともに存在していることが重要ということです。「信じる者は救われる」という言葉がありますが、こうした思いが幸せにつながっていそうです。

そういえば、部活動でも厳しい指導者が課す練習や約束事を、まるで修行でもするかのように学生時代を過ごしてきた人たちと接すると、みなネタのようにその時代の苦しかった話をして笑っています。ことに、同じ部活動の仲間たちが集えば、昔の修業時代の話に花が咲いて、彼らはとても楽しそうです。もちろん、この練習に耐え抜けば勝利が待っている、と信じていたからこそのことだと思うのです。

一見窮屈そうなことでも、それがいいことと信じていれば、人は幸せになれるのだと思います。
これからも、朝活をがんばります。

                    三浦健太朗

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