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129回目★【多様性✖️生き方の選択】その選択は自分軸?それとも他人軸?


Qあなたにとって、
多様性とは?

どんなものとして、自分の世界に受け入れますか?


 自分の内側に問うこと、
『なんで?どうして?そう思うの?』
というコミュニケーションは、
自分の可能性を狭める思い込み・設定に気づけます。

自分と向き合うと、潜在意識に伝える本音がわかります。
自分が欲するものや、何を求めているか、
望む現実を手に入れる方法が見つかります。

過去のトラウマ・しがらみから解放される。
望まない現実をさよならできる。
望む人生が手に入る一生ものの方法です。

思考が現実になるとは、
本音=設定が現実になっているからなのです。

【〇〇とは?】
と問いかけてみよう。
でてきた思考を書き出してみよう。
スマホのメモもOK。
ふーん…と通り過ぎずに。
自分には違うかも…と見て見ぬふりせずに。

問うと、あなたの思考は反応します。


経済も文化もダイバーシティ、
多様性と言われるようになりましたね。

結婚も、仕事についても。

日常のさまざまな面で、
多様性により、
自由さが増えた、
そのように一見感じるけれど、
戸惑いの中にまだまだあるのかなぁと感じています✨


それは、

選んだはずの選択は、
誰かの模範を真似た選択で、
自分と向き合い、自分の答えから導き出した選択ではない、
自分のありたい姿を見つけられずに選択してしまっている、

と、
そう感じてしまうことを、よく耳にします。

たとえば、
大事な人生の岐路を
『あの人はこれを選んだから私も!』
というような選びかたです。


誰かの模範の真似だけで選んでしまうと、
かならず後悔がつきまとう、かなぁと思います。

あの人にはあの人の選択が合っていて、
あの人の選択があなたにとっても最適なものになるかは、わからない。

選択を決める前には、
自分と向き合うことで、
最適なものに変わる。


とくに、
物理的や生物学的に選択肢が少ない、
リカバリーしずらいなど、人生の数少ない岐路には、
想像力を膨らませて自分と向き合って決めた方がいいのではないか、と強く思います。

たとえば、
結婚をする、しない、という選択や、
子供を持つ、持たないという選択、
仕事を辞めて、転職という選択などについても。

結婚をすること、
子供を持つこと、
仕事は終身、
というのが、デフォルト(初期設定)ではない、
ことを理解した上で、

自分としっかり向き合い決めたのなら、
『あのときこうしておけば…』という後悔をしないでいい、と思うのです。


私のおはなしをすると、
私自身、キャリアと結婚・出産について、
たくさんの時間をかけて向き合った課題だったのです。

子供を産みたくても産めない可能性もあるのも知っていますが、
産めるけど産まない選択をする、ということを考えてみたのです。


わたしが問うたのは、

■子供を産まない選択をしたとしたら、
子育て世代の年ごろは、どんな思いでいる?
子供を産むと、どんな思いでいる?

■今から20年30年経ったとき、
自分が定年するころ、それ以上の年齢になるころ、
子育て世代の子供は成人、家族を持つ年ごろには、どんな思いでいる?
子供を持つとどんな体験をしてる?どんな思いでいる?

■考えたくなくても、感じるお年頃になる老い、と、
どんなふうに付き合っている?
どんなふうに付き合っていたい?
その側にはどんな人がいて、どんな環境がいい?
子供を持つと、それらはどうなると思う?どんな思いでいる?

■自分の子供が子供を持つ選択をするかは、彼らが決めることで、わたしがどうこうできることではない、
ただ、可能性を自分の選択でゼロにはならないとしたら?

メリット、デメリットに思うことを書き出しました。

私の答えは、
ただ、ただ、自分の血のつながりがあって、若々しい存在というものや家族がいることは、
私には、その存在の大きさを、感じてしまった、のです。

こんな自分との向き合いから、
子供をもつ選択をしました。

選べたはずの選択がありながら、
誰かの模範をまねて、自分と向き合わず、
子供を持たない選択をしたら、
誰にもぶつけようのない後悔の渦の中から出られない時期を過ごしてしまうのかなぁ、と思います。


とはいえ、これはあくまでも、
私が想像をふくらませて見たイメージで、
私が描いた未来には、家族の存在があった、というだけの話です。

自分のありたい道の中に、子供を持つ選択が入った、というだけでした。


何が言いたいかというと、
後悔しないように!
ではなくて、

自分と向き合って決めた選択は、どんな結果になったとしても、
納得した自分の存在がある。


子育てをしていると、
大変だなぁと思うときもあります。

子供を持たない選択をしていたら、こんな大変なことしなくてもよかったのかなぁ?
とよぎりそうになる時もあります。
ですが、
子供のあふれんばかりの笑顔を見たときや、ふと1人で我に変える時間には、
これでよかったなぁ、幸せだなぁ、と思っている自分が必ずいるんですよね。

★大切な岐路には、自分に問おう。

■数十年後の自分を想像しよう。
■数十年後の自分が感じたいことはどんな思いか?
■そのときどういたいか?
■どう感じていたいか?
■どうありたいか?
■何十年後の自分はどんな感じ?


あくまでも、上記のは、私の選択であって、
これがひとつしかない解ではない、
正解とも思わない。
人それぞれ選択は違っていいのだと思います。

自分と向き合い”あなたの解”をみつけてください。

もし、わたしが、
子供は持てない、あるいは、持たないと決めた、
としていたら、こんなふうに問うと思います。

数十年後の自分が感じたいことが、
今の自分には叶えられそうにないとしたら…

■数十年後の自分が笑っていられるようなことを、今できることを探してみるとしたら、何がありそうか?

■数十年後の自分が、
あぁ、この選択もよかったなぁ、と思える自分がいるとしたら、どんな選択をこれからしていこうか?


■結婚しているなら、
夫婦で楽しく笑いのある生活ができるように、
どうしていこうか?


と考えてみよう、とするかなぁ、と思います。



何が言いたいかというと、
自分の未来に想像力を膨らませて自分と向き合うと、
多様性の時代であろうとどんな時代になろうと自分らしく生きられる、と思うのです。

周りのひとの生き方を取り入れたり、ヒントをもらいながら、
一つ一つの個人の選択を、
尊重し、認め合えたり、わかりあっていけるのが、
多様性の時代を生きることなのかなぁ、と思います✨

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