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『短歌研究』2020年11月号

素朴派のアンリ・ルソーよどの絵にも平安ありて死の翳り添ふ 高野公彦 たしかにどの絵も平安に満ちているのに、死の翳りがある。死の翳りがあれば通常、不安な絵になるはず。ゴーギャンみたいに。しかし、ルソーの絵はのっぺりと平安だ。

アンリ・ルソーは特に好きな画家。

木でなくなる際に自分が木だつたと気づくのか葉をさらはれながら 山木礼子 実際に切り倒される木が目に浮かびつつ、「木」を色々な言葉に変えてみたくなる。「葉をさらはれながら」の句跨りに救われない感がある。具体的な歌で構成された一連にあるのでこの歌の良さが生きた。

いつか世に彫(え)り出さるる日を待つほとけ内に抱きて月下のひのき 久々湊盈子 夏目漱石「夢十夜」第六夜、運慶の話を思い出す。漱石の小説は明治という時代に対する失望感だが、この歌はもっと大らかで優しい。彫り出された仏が未来の人を救ってくれるような希望を感じる。

④大辻隆弘「『場』の発見」〈岡井隆は、作者と読者の「約束」が、可変的なものであることを強調するために「場」という概念を新たに提示しているのである。〉「約束」は「前提」と言い換えてもいいかもしれない。短歌の詠み/読みに内在する前提を変成可能な「場」と捉える。

〈「場」はみずからの手で変えることが出来る。現代の歌人は(・・・)自分の歌が読者にどう読まれるか。その「場」を意識し、その「場」をみずから意図的に形づくってゆかねばならない。〉なかなかハードルの高い話だが、一人が作るというより、自然な流れで少しずつ作られているとも考えられる。

⑤渡辺幸一「短期集中連載」〈欧州の国々にとって難民受け入れは古くて新しい問題である。(…)結局はどの国も人道的な立場から可能な限り多くの難民を受け入れ、共生の道を模索する…〉外から日本を見る視点。この連載には本当に多くの事を教えられた。読めて幸運だった。

⑥松村由利子「ジャーナリスト与謝野晶子」〈晶子は「女が世の中に生きて行くのに、なぜ母となることばかりを中心要素とせねばならないか」と、母性が必要以上に重視されることを問題にした。〉相変わらず晶子はすごい。鉄幹がこの価値観を共有していたかは甚だ疑問だけれど。

〈三人が文章を発表する度に、論点を整理し、自分の考えを述べるのは徒労感の募ることだった。〉論争になった時の困難な点だ。徒労感の割には得るものが少ない。特にこの時のような、論点の違いはあっても根本的な考えが共通するものがある時は。根本的に考えが違う男性論者は見物していたのだ。

 本筋ではない話ですが、平塚らいてうって、こんな見た目の人だったんですね。モガっていうのか。100年前の人とは到底思えない。今、街を歩いてそう。写真があると、この人が晶子と論争したのだ、という想像に臨場感が加わる。

⑦花山周子「短歌時評」〈(現代短歌史の)ほとんどが手つかずのまま置き去りにされている感はぬぐえない。近代短歌の膨大な研究量と較べるときそう思う〉これは本当だ。特に80年代以降は手つかず感が強い。篠弘が書いたような短歌史はネットの普及と共にかなり困難になっている。

2020.11.13.~16.Twitterより編集再掲