『歌壇』2019年11月号

①飯田彩乃「時評」 国語の新学習指導要領について、憂慮する側の意見がうまくまとめられているし、概ね賛成。特に〈教科書に載っている、ただそれだけで無意識のうちに出会うための扉は開かれている・・・〉。もし教科書に短歌が載っていなかったら私は短歌を作ることはなかっただろう。

②飯田彩乃「時評」つづき 〈その論理的な文章、実用的な文章の例として挙がっているのが契約書や約款…〉。まあ、本当に一例なのだが、そうした超・実用的な文章って後回しにできないとも思う。

アキアカネの燃え立つ躰 標本になりてもさめぬ火の色かなし 広坂早苗 死んでその躰が晒されても火のような赤い色が褪めない。赤い色は何かの記憶の色でもあるのだろう。そしてトンボのことと同時に作者のことも言っているのだろう。

それでも君はきれいに泣いてこの秋を硝子の国にしてしまつたね 藪内亮輔 「君」の中に微かな欺瞞を感じながら、それでも二人の周囲はガラスのように透明で、不全感を上手く表現できない、そんな気持ちと読んだ。

⑤富田睦子「『彩』を読む①」〈・・・短歌にとっての「物語」は作り出すものではなく、そこに「ある」ものではないだろうか。誰にでも見えるものではない「物語」を見出して切り出してくること・・・〉。本質に関わる指摘だと思う。全く同感。見出せる人のみがそれを詠める。

⑥川野里子『歓待』書評  藤島秀憲〈・・・母の命の他にもさまざまな命が詠まれている。特に多く歌われているのは、その他大勢の命である・・・〉。母を詠った歌が圧巻なので言及されることが少ないが、藤島の目のつけどころは確かだ。〈「他」で括られてしまった命〉という指摘が鋭い。

⑦〈・・・どんな本にも「ボイス」があり、無数の言葉を残し耳を傾けてくれるのを待っている・・・〉。8月の「塔」全国大会「現代短歌シンポジウム」での高橋源一郎の講演が「歌壇ニュース・クリップ」にまとめられている。とても感動し、刺激を受けた講演。

2019.11.3.~5.Twitterより編集再掲