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『塔』2020年7月号~12月号ベスト10

 前回の続きです。2020年後半のベスト10です。引き続き、自分の好みだけで選んでいます。今回、自分の歌の好みというものが、自分でよく分かりました。好きな語彙に偏りがある。例えば雪。また、同じフレーズが繰り返されるのが好き。(トートロジーというのでしょうか?)これが分かっただけでも自分的には収穫です。では、ご覧ください。

てのひらに氷が溶けるまでを見る どこかへ行けばどこかがここだ 椛沢知世 てのひらの上の氷が溶けていくまでの時間、作者はどこかへ行きたいという思いをぐるぐる頭の中に巡らせていたのだろう。しかしどこかへ行ってもそこが今いる場所になるだけと考える。上句下句の付き方が絶妙。(7月号)

人間でなければ越えられる柵へ誰かが鳥のごとく走った 川上まなみ アウシュビッツを描いた一連より。柵を作って同胞を閉じ込めるという残酷は、人間しかしない。そして人間である限りその柵は越えられない。その場所に、理不尽に閉じ込められ続けることに正気を失った誰かが、柵へと走って行く。鳥のように。

 しかしそれはイメージでしかない。実際には人間の重い足を、身体を、引きずって走るしかないのだ。その結果、必ず加えられる制裁。おそらくは死。「誰か」という無造作な言い方から、制裁を加えるのは作中主体かも知れない。加害者・被害者双方の依り代のような作中主体。正気と狂気のあわいが描かれる。

 この連作を読みながら、短歌でこれだけのことができるのだという衝撃に、身体が震えた。映画「ソフィーの選択」や「愛の嵐」を見た時に近い感銘。この連作は、短歌の当事者性の議論に対する答えの一つにもなっている。(7月号)

指さきで耳のうねりをなぞりつつ巻貝を降りてゆくように睡る 山川仁帆 コクトーの詩を連想させる美しい一首。「巻貝を降りてゆくように」が眠りに落ちる時の比喩としてとても説得力がある。自分の頭の中に沈み込んでゆくような感覚。(8月号)

かなしみをだれにでも言ふひととゐて手持ち花火の火を分け合へり 千葉優作 「かなしみ」に作中主体も共感しているのだろうか。自分の持つ「花火の火」を分け合っている。ほんのりと寂しいようなやさしい世界。こんなに普通の言葉で歌の世界を作れるのだ。(9月号)

生きづらいという謎のマウントを取り合っているように梅雨、紫陽花は咲く 長谷川琳 紫陽花が場所を取り合うように咲くことを、マウントというパンチの効いた比喩で表現した。いや、実は紫陽花が喩で、マウントが現実かも知れない。リズムも88577と取るか、5・6・5・12・7か。(10月号)

ぼくの目のかわりにビーだまころがして 止まらない、どこまでも日常 山田泰雅 「ぼくの目のかわりに」が無ければ、ビー玉を転がして、退屈な日常を詠った歌。それだけでも歌として成り立つ。しかし、この出だしがこの歌の尋常で無いところだ。目玉が転がって行くような感覚を覚える。(10月号)

みづからの影を押さへてとまりをり羽黒とんぼは長き葉の上(へ)に 斎藤雅也 この「みづからの影を押さへて」の観察の鋭さ、描写の的確さに感嘆した。写実の歌の最良の面が出ていると思う。長い葉の上に身体を重ねるように留まるとんぼが目に浮かぶようだ。(11月号)

ありふれた傷は生まれてありふれたかさぶたになるなんでもないよ 吉原真 自分の受けた傷は自分にとって特別なものだが、人から見るとごくありふれたものだという達観。「ありふれた」の重なりに実は深く傷ついている自分が表される。その自分に言い聞かせるような結句。(11月号)

生きている者は生きている声で老いてゆきたりひと夏ごとに 沢田麻佐子 声は老いる。久しぶりに会った人の声の老いに驚いた経験は誰しもあるだろう。それは、自分も同じことを相手に思わせているのかも知れない、ということ。自分の声を持って、人は老いてゆくしかないのだ。上句の句跨がりのぎこちなさが、内容の寂しさを引き立てる。(12月号)

遠からず道が分かれてゆくことを思えり相槌ゆるくうちつつ 芦田美香 会話の場面。相手の話に相槌を打つ。しかし「ゆるく」。作者は会話に熱を持っていない。おそらく相手もそうなのかも知れない。お互いの道が分かれていくことを予感しながらの会話なのだ。(12月号)

Twitterより編集再掲