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『塔』2020年12月号(1)

生きている者は生きている声で老いてゆきたりひと夏ごとに 沢田麻佐子 声は老いる。久しぶりに会った人の声の老いに驚いた経験は誰しもあるだろう。それは自分も同じことを相手に思わせているのかも知れないということ。自分の声を持って、人は老いてゆくしかないのだ。上句の句跨がりのぎこちなさが、内容の寂しさを引き立てる。

白亜紀へ恐竜は帰る踏切をまたいで 四時に試験は終わる 永田玲 四句の句割れが効果的。踏切をまたいで白亜紀に帰っていく恐竜。その大きくて不器用な姿が、現代に適応出来ない何かを思わせる。主体は試験中の身。四時までは自由になれない。帰る恐竜に会いに行きたいのか。

③「青蝉通信」吉川宏志〈個人主義や自由主義を、現在の私たちは、当たり前のように尊重しているが、八十年前には、罪悪と見なされていたことを知っておく必要がある。〉私たちは現代の通念で、過去の出来事を価値づけてしまいがち。前の時代の当たり前は、すぐに分からなくなるのだ。

我の手の種ついばみて舞ひ上がり忽ち我は点となりたり 高野岬 上句と下句の視点の対比が鮮やか。上句では主体が手の中の種をついばみにきた小鳥を見ている。下句で視点は鳥に移り、地上の主体を見下ろす。主体はその鳥の視点をもって、地上の自分を見ているのだ。

遠からず道が分かれてゆくことを思えり相槌ゆるくうちつつ 芦田美香 会話の場面。相手の話に相槌を打つ。しかし「ゆるく」。作者は会話に熱を持っていない。おそらく相手もそうなのかも知れない。お互いの道が分かれていくことを予感しながらの会話なのだ。

夢なれば当然のごとく母が居りくだもの盛れりクリームを添へ 篠野京 初句二句から母がもういないことが分かる。「当然のごとく」という逆説的な言い方が悲しい。果物をおやつに出すだけでなく、クリームを添えておしゃれに盛りつける母。少し昔の母達の理想の家庭生活だったのだ。

さるすべり醒めぎわの夢の色に揺れわが子なるものどこまでも他者 沼尻つた子 醒め際の夢にさるすべりの色が揺れていた。小さな花が降る。共に住むわが子も寝ている時刻だろう。わが子は他者だ、その下句の冷静な把握に人間の孤独を感じる。親子の情愛があっても孤独は無くならない。

2021.1.2.~4.Twitterより編集再掲