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『歌壇』2021年2月号(2)

⑧「第32回歌壇賞選考座談会」読んで思ったことをぱらぱらと書く。「故郷の雪をせがめば次の日に実家の窓が送られてくる 緑川皐月」水原紫苑〈ありえないけどこのシュールさ。〉実家の窓に積もった雪の写真がメールかラインで送られてきたのだと思うが、現実に即き過ぎの読みだろうか。

⑨「たくさんのひとの記憶のなかにいて今も音読だけが上手い子 緑川皐月」東直子〈人間は他人の記憶の中にいくつもの断片的な姿を残していくわけですよね(…)音読をする姿だけが自分の中で今も生きている。〉自分もそうして記憶されているかも知れない。歌の良さを引き出した評。

⑩貝澤駿一「ルカシェンコの子供たち」について。三枝昻之〈どこまで調べることを読者に求めるかという問題は時事詠に限らずあって(…)〉これは本当に難しい問題だ。詞書や注をつけるか、読者に委ねるか。検索が容易な時代だけに、作者の匙加減が問われるところだ。

⑪「凛、といふ音に醒めたればつらぬける正鵠の黒 その深きまで 小早川翠」吉川宏志〈近代的な〈私〉ではなく、〈私〉以前にある自然とつながった存在を、言葉でとらえようとしている。〉この評はすごいなー。作者自身が意図せずに描き出したものかもしれない。歌の深さに気づく。

⑫三枝昻之〈今回、(「ハイドランジア」同様)「秋の放鳥舎(石井大成)」もそうだし、「ルカシェンコの子供たち」も言葉の問題ですよね。〉東直子〈そう。言葉とアイデンティティーの問題ですね。〉使う言葉が変われば、使う者の人格も変わる。このテーマは深い地層があると思う。

⑬吉川宏志〈最新のテーマを歌うことは大切ですが、〈報告〉のようになってしまうと、読者の心に食い込んでいかない。詩歌の言葉は(…)言葉自体が揺らぎ、揺らぐことで生命感が生じてゆくところが重要なのではないでしょうか。〉思い当たること大いにアリ。心に刻みたい。

⑭花山多佳子「森岡貞香」月させば梅樹は黒きひびわれとなりてくひこむものか空間に/月のひかりにのどを湿してをりしかば人間とはほそながき管のごとかり 〈空間や、身体としての人間の発見は認識への関心の所在をくっきりと示している。「私」はその場の現象であり意識である。『白蛾』の作風は一様ではなく混沌としていて(…)境涯詠や風俗詠とともにこうした存在論的でそれゆえに美しい歌が混じるのは、かなり稀な眺めである。〉森岡の『白蛾』は境涯詠や風俗詠ばかり取り上げられるが(私自身もそこばかり目が行ってしまうが)花山の指摘のように、後の作風に繋がる。

〈当時、葛原妙子や塚本邦雄と混じって「難解派」と呼ばれたのもわかるが、前衛短歌の「私性の脱却」による観念や、言葉、イメージ世界への拡大とは真逆なベクトルを指す。「私」という同一性でなく現象に解体していくという点では一つの「私性の脱却」といえるのである。〉ここ、もっと聞きたい。

 このシリーズは歌人の生涯を見通すものなので、一時代のみを詳しくは書けないのだろう。今後、前衛短歌と森岡について、歌の比較などしながら語って欲しいなあ。
 花山の三十首選の中で一番好きな歌を挙げる。「青き空にさくらの咲きて泣きごゑは過ぎし時間のなかよりきこゆ 森岡貞香

2021.2.15.~16.Twitterより編集再掲