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角川『短歌』2022年2月号

①高野公彦「うたの名言」後鳥羽院は定家を賞讃しつつ、心は何ということもないが、と鋭く批判する。一方で西行・俊成を「心が殊に深く」最高の歌詠みだと断言する。〈「心」とは、「歌に詠まれた感情の実体」という意味のようだ。〉現代にも当てはまる話だと思う。

生涯をまるごとわがままに生きることはたいていできない 長い 東直子 二句三句さらに三句四句に句跨り。相当ぎくしゃくしたリズムを生み出している。結句は句割れ。ぎくしゃくした思考を重ねて来て、最後に吐き出すように「長い」。「い」音の繰り返しが通底し冗長感を強める。

ああマリア人類初の代理母ラピスラズリに彩られても 松村由利子 聖母マリアを代理母と位置付ける視点。信仰篤い人にどう響くかは分からない。音数的には「代理はは」?青はマリアの色。ラピスラズリが原料の青い顔料で描かれた服をまとうマリア。彼女の複雑な人生を思う。

④特集「短歌と経験」扉に〈人生がそのまま歌になる。経験と短歌の密接な関係に思いを馳せる特集です〉とあり、小題に「総論 短歌の豊かさ」「論考 短歌に経験は必要か」「鑑賞 人生が滲み出た歌」。良い文が載っているが、経験と人生をほぼイコールに扱ってるのが気になる。

⑤特集「短歌と経験」山中律雄〈この程度の歌ならば想像で詠めるだろうと思う人もいるに違いないが、私は経験を重んじたいし、これが私のスタイルなのだ。〉〈経験しないことを歌にするのは難しいが、単に経験をなぞっただけの作品が巷に溢れている。(…)作者にとっては意味のあることだろうが、それだけでは短歌にとって一番大事な「詩」としての機能を活かしているとは言い難い。〉特集では山中の文が分かりやすかった。「経験」をしない人はいないし、皆「経験」を詠んでいるが、表現の仕方が違うのだと思う。

⑥特集「短歌と経験」江戸雪〈言葉は作者の内面から発せられる以上、人生や経験が滲み出ない歌はない。〉〈けれど、人生だけでは歌はつまらない。〉江戸も山中とほぼ同じことを言ってると思うが、二つ目の「人生」が指すものが曖昧。境涯詠だけでなく、ということだと思うが。「経験」も「人生」も色々な意味で使われるから、論点が絞りにくい。言葉派という用語を使う人の「言葉」もそうだ。

⑦松尾祥子「歌人解剖 旅の達人 宮英子」〈(宮は)八十歳をすぎてからはフランスによく出かけた。「フランスに行かれたんですか?」と尋ねると、「行ったんじゃないのよ。気がついたらフランスに居たのよ」とおっしゃる。〉カッコ良すぎる。最後の旅が九十四歳の時。憧れる。

⑧前田宏「歌壇時評」角川短歌賞について〈表現力の高さよりも、テーマの掘り下げが重視されたのだ。短歌を先へ進めるためには他ジャンルからの学びが必要だという指摘は、(…)現代歌人への苦言とも思う。(…)新人賞のハードルを上げ過ぎていないだろうか。〉同じ様に思った。
 〈基準は歌の完成度?伸びしろ?表現力?斬新さ?テーマ性?文学性?等々〉前田は選考委員だけに委ねるのではなく、賞を募集した編集部がある程度基準を設けることを提案している。部門別の賞や、選考基準を絞った賞など。各誌がその賞に個性を持たせるということだろうか。編集部の方で「ウチの賞は〇〇な新人を求めています」的な?それも一つの方法かも知れない。しかし各賞の傾向が固定化し過ぎるのも面白く無いし、選考委員同士の化学反応は予想出来ない。難しいところだ。ただ、選考委員が色々な賞でかぶるのだけは、賞を設けるサイドで避けてほしいと強く思う。

⑨田中翠香「歌壇時評」2021年11月の文学フリマ東京について〈会場では多種多様な層からの出店があった。(…)「短歌同人「砦」」は(…)「塔読むキャス」(毎月の「塔」結社誌から作品を引用し紹介・評をおこなうインターネット配信)の延長線上で(…)塔のメンバーによる結社内同人誌という位置づけの集団であり(…)〉と「砦」が紹介されている。「塔読むキャス」を通して「塔」の相互の作品を読み、興味を持ち、同人誌を作ったという、結社のいいところを活かしたサークルだと思う。田中は他に興味深いサークルを多数紹介している。
 〈結社に所属している歌人はもちろん、そうでない歌人も興味深い作品や企画を打ち出していた例が多く、今の歌壇がとらえきれていない場所にも、短歌の豊かな水脈が存在することを示す証左だと言えるだろう。〉全くその通りだ。コロナが収束して文フリが再活性化することを願う。

⑩田中翠香「歌壇時評」〈結社が有望な新人を迎え入れ、育成する場であるということは今さら言うまでもないことである。しかしその前段階として、短歌を始めたばかりの人、もしくはこれから始めようとする人の道しるべとなるような場所作りも、今後の短歌界に求められてくる(…)〉ただ提案するだけでなく、具体的なアプローチも多数紹介されている。違う世代や違う媒体に依る者が「短歌」という一語の元に繋がりたいと思うのであれば、まだまだ方法はあるということを示唆してくれる文だ。

2022.3.17.~21.Twitterより編集再掲