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草木美智子「栗木京子論」を読む(2)

引き続き草木美智子による「栗木京子論」を読んでいく。

栗木京子短歌「戦争詠」の源流とその特質

『大正大学大学院研究論集』第45号(令和3年3月15日刊)

  栗木京子の特質である「社会詠」の中で「戦争詠」が目立つ存在であり、全十歌集の7.3%を占めることがまず述べられる。特に「戦争詠」の歌材として「家族」が詠まれている点を挙げている。

 これに続く文は戦争詠における「祖母」「父母」「伯父」「祖父、叔父」「子、夫」について、歌集を追ってどのように詠われているかを分析している。おそらく著者である草木自身にとって印象の強い順に挙げられているのだろう。戦争で息子(栗木にとっては伯父)を失くした祖母の歌がまず挙げられている。

 両の手を畳につきて泣きゐしは祖母なりしかな昭和の夏に『けむり水晶』

 戦死せし子に陰膳を今もなほ供へゐるべしあの世の祖母は『ランプの精』

 栗木の連作では同じ趣向の歌が並ばないように巧みに配列されているため、草木に指摘されるまで戦争詠がそれほど多いとは気づかなかった。しかしこの論文で歌集を追って栗木の戦争詠を読んでいくと、栗木にとって戦争がいかに大きな問題であったかが浮かび上ってくる。栗木は、子供の時に子供の視線でしか見なかった家族を、大人になり自分も家族を持つことによって、新たな視線を当てて見るようになる。子供の時、何気なく見過ごしていた祖母の行動などが自分の身に沁みて、内側から感情を理解することが出来るようになったのだろう。その意味でもこの論文が家族から見た戦争詠に焦点を当てた意義は大きい。また『夏のうしろ』発表当時は戦死した伯父の歌が大きくクローズアップされたが、それ以外の家族にも戦争の影が色濃く落ちていることをこの論で再確認した。そうした戦争に対する思いが、栗木の社会詠の核の部分に存在するのだろう。

〈また、第五歌集『夏のうしろ』には2001年アメリカ同時多発テロ関連の作品群が収められているが、その中に次の歌がある。レンコンの穴は十(とお)と数へ了(を)へ食めば殺戮ある世はいづこ(…)この歌では「れんこんの穴」から人を殺す「銃口」「弾痕」へと連想が及んでいるのである。〉

 栗木の連作では、背景として情景を描いたように見える歌にも、周到にテーマ性が内包されていることを、この部分を読んで納得した。テーマごとに取り出して見れば、歌に込められた思いがよりストレートに伝わってくるし、読者がテーマ性を意識しながら読むだけでも、受け取るものが深くなっていくことを、この論を読みながら思った。

栗木京子短歌における「戦争詠」に関する考察ー作者と作品の位相を中心にしてー

『國文學試論』第30号(2021・3)

 前論の続編に当たる論。家族詠ではない戦争詠、広い意味での社会詠を読みすすめながら、第五歌集『夏のうしろ』、第六歌集『けむり水晶』、第七歌集『しらまゆみ』、第八歌集『水仙の章』、第九歌集『南の窓から』、第十歌集『ランプの精』へと、歌集を辿っていく。家族詠を通しての戦争詠が身体を通して、体感・経験によって詠われるのに対して、家族詠を通さない場合は、栗木の特徴である、知的な把握を生かした社会詠になる傾向が強い。しかしながら別論でも挙げられたように、社会情勢の変化や栗木自身の年齢的な変化に伴って、視点のありようが変わっていく。特にその中間点であるような、逡巡する歌を挙げた部分に特に注目した。第六歌集『けむり水晶』の中の一連「木でありし日の」から。

人はみな時代の共犯者であるか畔の向日葵ならびて咲けり

木苺のヨーグルト甘し半分だけ責任取りつつ生き来し我に

〈「太陽」(=天照大神)とは国のリーダーであり、過去の日本の戦争では「天皇」であろう。国民が「太陽」に向かって、同じ方向で進んでいく姿を「向日葵」の特性に喩えて詠んでいる。では、同じ方向を向き戦争へと進んでいった人々は、時代の共犯者ではないか、と作者は自己にもまた読者にも問うのである。その返歌が次の「木苺のヨーグルト」の歌であろうか。つまり「人はみな時代の共犯者であるか」と詠み、自身もそうであると認めているのではないか。「木苺」は「甘い」「酸っぱい」を合わせた「甘酸っぱい」味のイメージがあるが、自身も不完全な「甘さ」同様に、半分だけ責任を取ってきたという負い目が表現されている。第五歌集『夏のうしろ」以降、鋭い「社会詠」を詠んできた栗木だが、やはりどこかで葛藤を抱えていることが窺える一首であると言えよう。〉

 少し長くなるが引用した。栗木の視点の変化も目に見えるようなはっきりしたものではなく、この連作のように曖昧に逡巡し、葛藤しながら少しずつ変化していったのだと思う。この部分は栗木の喩に注目しながら、栗木の内省的な部分に切り込み、微妙な心理の襞に分け入った論考となっている。

 国文学の論文の常ではあろうが、最初に「この論は~について述べる」と明言され、最後に「この論では①~②~③~の三点をまとめとする」など要旨がまとめられているので、自分の理解を確認することができる。こうした書き方は、歌人が論を書く時にも大いに参考になると思う。

 貴重な機会を下さった草木美智子氏に改めて御礼を申し上げます。ありがとうございました。

2022.1.9.