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『現代短歌』2022年11月号(2)

カブトムシ(オス)を虫籠に入れる子とすれ違いたり得意げなりき 永田淳 自分で捕まえたのだろうか。カブトムシを籠に提げて得意げな子。うれしそうと得意げを見分けられるのは、主体がかつてそういう感情を持った子だったからだろう。

ガーベラのようにあやうく揺れている部屋では窒息していくばかり 平岡直子 詞書は「08/15体温39.2℃」。コロナに感染した記録が時系列で描かれる。三句は連体形で「部屋」にかかると読んだ。部屋がガーベラのように揺れている。主体の視野が揺れているのだ。あやうく、もいい。

わたしから叱られた子をニシキアナゴが慰めてゐたわたしの声で 石川美南 外出の際、子の大切なニシキアナゴのぬいぐるみがなくなった。そのニシキアナゴの思い出を詠った一首。親が喋っていると分かっているはずなのに、ぬいぐるみと真剣に会話する幼児の心理は不思議だ。

⑧楠誓英「時評」〈ニューウェーブは、表現の多様化、文語短歌の相対化を促進し、表現における「絶対的な指針(権威)」が無いことを示した。また発表や刊行といった「場」を拡げたことも大きな功績である。だが「記号短歌」の「継承」は不可能ではないだろうか。〉
 不可能でしょう。少なくも新鮮ではない。楠自身が同じ文章の中で〈「継承」というより「模倣」のように思った〉と書いている通りだ。この楠の時評は認めるべきところは認め、指摘すべきところは指摘した文章。指摘すべきところは、歯に衣着せぬ言い方をしており、読んでいて気持ちがいい。

⑨魚村晋太郎「第一歌集って何?」同誌で「第一歌集ノオト」を一年間担当してきた魚村が、第一歌集のあり方について考察した文章。第一歌集についての作者の考え方と、読者への届き方を多方面から論じている。これをベースに、歌集の現在位置について誰もが語りたくなるような文。
〈第一歌集は歌人としてのスタートであると同時に、大きな目標という意味で、かつてはゴールでもあった。その第一歌集が、現在はひとつの通過点として捉えられるようになってきたのではないか。〉
〈第一歌集についての考え方の変化と同時に起こっているのが私家版歌集の活況である。〉
〈現在は、自身の作品を多数の読者に届ける手段が増えてきた。一つはツイッターなどのSNSである。(…)今ひとつは販売・流通方法の多様化である。〉として文学フリマやBoothなどのネット販売サービスをあげている。 
 興味の重なるところが多く、教えられることも多かった。多くの人に、ぜひ原文で読んでほしい文だ。

2022.11.20.~21.Twitterより編集再掲