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『塔』2021年4月号(3)

ひとつ川へだてて見える遠い日のわたしが私に手をふった「また」 松岡明香 過去のわたしが現在の私に手をふった。「また」は「また会いましょう」か。もう捨てたはずの古いわたしか、無邪気だった頃の懐かしいわたしか。穏やかな語調から後者に思える。川は何の境界だろうか。

 川ひとつ、ではなく「ひとつ川」なのがポンと弾くように響く。結句の句割れも、語がぎちぎちに詰まっている感じなのだが、それが却っていい。「ふった/また」の急ぐような「た」の繰り返しに再会へ気持ちが走っている印象がある。

わかり合えたと思いたいから思ってただけだからこれは裏切りじゃない 亀海夏子 今月一番グサッと刺さった歌。七七五八七。三句と結句でギリギリ定型に収まった感。三句で終わったと思っていた言葉が句跨りで、四句目最初の「だけだから」に続く。そして出会う裏切りという言葉。

 わかり合えたと思ってた、でもそれは自分の側がそう思いたかっただけなんだと反芻する。裏切りじゃない、と言っているけど、確かに裏切られたんだよ。ぐねぐねとした思考が傷ついた心に絡みついてくる。

三等星よりも明るい星のない星座の生まれ同士親友 はなきりんかげろう 主体と友達はお互いに「暗い星しか無いね」と言って仲良くしている。初句から長く続いた言葉が「親友」で途切れる。ちょっと自嘲的に。お互いの性格を暗いなと思っているが、それでいいとも思っているのだ。

何座なんだろう。気になる。

産み育て働くひとの多き部署 複眼になるはおんなばかりで 松本志李 「複眼」は前にも後ろにも横にも目が動き、気働きが出来ることの喩えだろう。トンボは餌を取るために複眼なのだが、女たちの複眼は自分のために使えているのだろうか。気遣いばかり要求されていないだろうか。

かなしみに深く沈めばすれ違ふひともこの世に沈んだ船だ 千葉優作 この世にいることは、沈むこと、かなしみに深く沈むこと。この世は海底のようだ。「船」は黒い難破船を想起させる。空気の中にいるのに水の中にいるような頼りなさ。海面に上がることはできるのだろうか。

2021.5.14.~16.Twitterより編集再掲