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『塔』2021年9月号(3)

休み時間すべてをタンポポ調査にあて高校二年の春は過ぎたり 松塚みぎわ 情熱は人に向けるだけじゃない。タンポポ調査に向ける情熱。高校二年の一学期、休み時間が来るとすぐに校舎から飛び出しタンポポを調査した。他人から見たらなぜそんな、と思われるものこそ情熱の名に値する。

何もしないことに飽きるまで何もしたくない日海にはまだ船がいて 春澄ちえ 六八六七七と取った。とても長い感じがする一首。それが気怠い、何もしたくない日と合っている。海を見ているだけ。海には船が「いる」。動きの鈍い生き物のように船を捉え、それも気怠さに繋がっていく。

「まだ死ねない離婚してからでなきゃ」病床の友 人ってくるしい 潮見克子 離婚してから死ぬ、あるいは死ぬ前に離婚する。自分の死後、夫に自分の思い出など語られたくない。我が物顔で遺品に触って欲しくない。身体の病より心の傷が苦しい。その苦しみに主体も共鳴しているのだ。

花とかもちょっと売ってるスーパーが近所にあって、花は買わない 平出奔 「とかも」「ちょっと」という留保が目立つ。「とか」には、しきみ等、花ではないものが含まれるのだろう。「も」は「食品だけではなく」という含み。「ちょっと」は食品が主だけど、花も少し、という把握。

 食品だけを売ってるスーパーより少しがんばってる感が出ている。でも主体はそれをちらっと見るだけで、花は買わない。重要項目では無いのだ。メインの食品売り場へと向かう。読点で周囲に対する認識が一時中断し、自分の方針を点検し直す感じだ。

電線がびよびよ揺れてその向こう雲が流れて今日はもう無理 田村穂隆 電線が揺れる時のオノマトペが不穏な印象。揺れる電線の向こうを雲が流れるのは、のどかな風景かも知れないが、オノマトペが一気に暗い歌にする。その不穏さにやられてしまった主体の神経を、結句が表している。

わたしはきみのための礼拝堂だから躑躅の道をおいでなさいな 田村穂隆 初句七音と読んだ。二句アタマの「ための」、三句アタマの「堂」のタ行音が強い。自分を無にして相手に祈りの場を提供する。躑躅の咲き乱れる道を通って、と相手を誘う。結句の少し古風な言い方に惹かれる。きみはわたしのことを祈るのではないだろう。それも分かっている。大きな許しのような感情。

梅雨空と濃い珈琲と暗闇が好きで嫌いで夏至はもうすぐ 川俣水雪 好きで嫌いなものにどこか共通点がある。感情が濃く垂れこめるようなものだろうか。夏至が明暗の一つの分岐点になるのだろう。「塔」旧月歌会の仲間の川俣水雪さんが10月15日に逝去された。ご冥福をお祈りします。

雑木には胡桃や柏、橅小楢、冬のたき木は良い名をなのる 高原さやか 冬用の薪は、杉と雑木に分けられることが一首前の歌から分かる。何が違うのだろう。杉が上等だということか。しかし雑木と言っても、一つ一つ種類があるし、良い名がある。きっと木の特徴も色々あるのだろうな。

銀貨より冷たい海を注がれて割れたいシャンパングラスのように 帷子つらね 華麗で無惨な比喩。冷たい酒を注がれて割れるグラスが自己イメージ。冷たい扱いを受けて壊れる心だろうか。中途半端な対応をされるぐらいなら、銀貨より冷たい海のような言葉を注がれて、いっそ割れたいのだ。

途切れることなく降り続くこの雨のせゐにして君を存分想ふ 赤嶺こころ 六七五八七と読んだ。初句二句で「途切れることなく」と言いながら、句切れの関係で、「途切れること」「なく」と切れているのが象徴的。君を思う気持ちは途切れないが、二人の関係は途切れてしまったのだ。

2021.11.4.~6.Twitterより編集再掲