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『短歌研究』2021年9月号(1)

「チケットが、あるんですが」と低きこえ言下断る刹那のゆらぎ 富田睦子 制作時期から東京オリンピックのチケットだろう。いわゆる転売ヤーから電話がかかってきた。「言下」「刹那」でほぼ同時に起こった矛盾する感情を描いていて臨場感がある。

目を狙う ボールペンでも鍵でもよい夜道を歩きながら反芻 塚田千束 「反芻」だから、一度聞いたことあるいは自分が考えたことを、頭の中で繰り返しているのだろう。おそらく夜道で痴漢に遭った時の対策と思うが、人間の無意識の暴力性を暗示しているようにも読めて惹かれる。

補液足す途端に表情よくなれり人は草木ににてくる葉月 塚田千束 顔色ではなく、表情が良くなった、というのに現場のリアリティを感じる。水上げした途端生き生きする花のようで、人間の身体って即物的なものだなと思わされる。精神が心がと言っても、身体の栄養分には敵わない。

続いてはスポーツですとキャスターが言った瞬間消える犠牲者 遠藤健人 深刻そうに何かの犠牲者について語っていたキャスターも深刻を装っていただけで、スポーツになれば明るく元気な声になる。その瞬間、画面からも番組関係者からも視聴者からも犠牲者の映像は消えるのだ。

屋久島の森に置かれたマイクから配信される雨音を聞く 嶋稟太郎 とても現代的な自然詠だと思った。この雨音はリアルとヴァーチャルの境目だ。屋久島の森に置かれたマイクだから値打ちがあるのであって、その辺の雨音ではダメだという「特別のもの」に対する選り好みも今風だ。

広場まで自転車を曳くひなたにはポプラの絮がえんえんと吹く 嶋稟太郎 爽やかさと少しの孤独感を感じる。細かい所に目が行き届いた日常詠。ただ広場まで自転車を曳いて歩いているのだが、ポプラの絮が吹いている中、という設定が丁寧でいい。「えんえん」に「永遠感」がある。

あっさっき君が「春」って言ったときMSゴシックぽいと思った 谷地村昴 言葉の響きから活字のフォントを思い浮かべる。耳から聞いたものを目で見るものに変換する感性。肉筆の筆跡に替わって、活字のフォントが、ある種の個性を表す時代なのだろう。一首中の促音の多さも魅力。

霧雨で光りはじめる杜若会えば会うほど弱さに気づく 谷地村昴 上句の美しさは絶品。上句の美しさがあるから下句の認識が活きる。「弱さ」は主体自身の弱さと取りたい。相手との触れ合いによって自分の弱さを自覚しているのだ。その気づきと上句の「光りはじめる」が呼応する。

⑨「新人賞選考座談会 選後感想」米川千嘉子〈そこ(新しい人たちに向けたもの)で表現や発想が共有され過ぎていることについて用心もある。同じような手法、同じような主題についてみんなが共有して、すごく細かくそこを掘っていくということになってしまうかもしれない。〉

 これは最近割と言われていることだ。と同時にいつの時代にも言われていることかも。手法、特に文体や語彙で勝負しようとすると、誰がオリジナルか分からないぐらい、あっと言う間に似てしまう。袋小路だ。主題はまだ、個性を出す幅があるかも知れない。

2021.10.12.~15.Twitterより編集再掲