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『現代短歌新聞』2022年1月号

①「インタビュー黒瀬珂瀾氏に聞く」まずは若山牧水賞受賞おめでとうございます!
黒瀬〈博多湾の光のなかで日常を過ごすときに圧倒的に自分が空っぽであることをまざまざと教えられた。〉このインタビュー、とても印象的だった。

〈つねに自然と娘から、自分の思いもよらない世界の偶然性をプレゼントされて、それを一つひとつ言葉にして行った歌集という感じがしますね。〉ここが一番心にストンと落ちた。作者がコントロールして作った歌より、外部の偶然性に任せて作った歌の方が幅がある、と言えばいいか。

その外部が自然と娘というのがひときわ健やかな印象がある。(外部の偶然性の方が幅があるという話は、パチンコ屋を一膳飯屋に直すか、パチンコ屋のままいくか、というエピソードとも通じるところがある。黒瀬のインタビューの言葉の方がはるかに瑞々しいが。)

②「インタビュー」②わが頬とおまへの鼻にはなみづの橋は吊られて御馬(おんま)がわたる 黒瀬珂瀾
〈子どもと親の身体は粘液にまみれた粘膜だな、と感じていたなかで、鼻水の橋ができた。これも一つの偶然性ですが(…)朗読したらドン引きされる(笑)。〉なぜドン引き?子どもを育てていると毎日粘液だらけだよ。もっとビロウな話もいっぱいある。でもそれをどう歌にするかですよね。「はなみづの橋は吊られて」がやはり上手いと思う。

③「インタビュー」1Fを国は遺跡とせぬだらう霜に包まれからすうり照る 黒瀬珂瀾
〈原発や国への批判としてからすうりの赤がシンボリックに詠われていると読んでいただいても結構ですが、自分としてはそこにからすうりがあることの神秘性、偶然性のほうにただ圧倒された。〉自然の神秘性、偶然性。やはりどこかに人智を超えたものがあるという感覚を持って詠うのは、持たずに詠うのとかなり差があるのではないか、とつくづく感じたインタビューだった。

④藤原龍一郎「回顧2021」〈塔短歌会・東北編『3653日目』。2011年3月11日の東日本大震災から十年目、24人の歌人による1273首の作品集だ。・幾たびも繰り返し来し生き死にの打ち寄せてうちよせて花びら 梶原さい子〉『3653日目』が取り上げられている。引用の梶原の歌もいい。

⑤佐伯裕子「2021年の収穫歌集」〈東日本大震災に遭遇した歌びとたちの記録、『3653日目〈塔短歌会・東北〉震災詠の記録』は忘れがたい。長いスパンで捉えた大災害が、ニュースとも違う、実感のあるものとして迫ってくる。〉こちらの記事でも『3653日目』が取り上げられている。

〈短歌は写真とも、散文とも異なり、ドキュメントの映像でもない。歌には、個人の恐怖と激しい悲しみ、怒り、不安、ささいな喜び、そのような掴み所のない感情がうごめいている。〉『3653日目』はそうした短歌の持つ力を改めて我々に認識させてくれたのだと思う。

⑥川本千栄「視点 ダブル受賞に思う」〈ダブル受賞と該当作なし、これらは相反することのように見えるが根は同じだ。(…)ダブル受賞は気前のいいことでも多様性を認めることでもない。〉自分の書いた文で恐縮です。お読みいただければ幸いです。

⑦小島ゆかりの似顔絵が変わっている。顔だけ、が→半身、に。似顔絵であることがくっきりした…。

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⑧藤島秀憲
住の江の岸による浪よるさへや夢の通ひ路人めよくらむ 藤原敏行
〈女性が男性のもとに通うのが一般的な時代だったから、女性になり代わって歌っている。敏行は心得た人で、通ってくる女性の憚る心理が分かっている。〉
男性が女性のもとに通っていたのでは?

⑨島内景二「辞世のうた」〈日本人は、戦乱に明け暮れた中世という時代に、「軍記物語」という、不思議なジャンルを完成させた。文字で読むスタイルと、耳で聞くスタイルを両立させた稀有のジャンルである。〉軍記ものがわかりやすいのは、耳で聞くスタイルだからだと納得。

2022.2.17.~18.Twitterより編集再掲