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〔公開記事〕時代を創った名評論 佐佐木幸綱「詩歌の変革」

「近代短歌」のスタート地点

引用①この(与謝野鉄幹の)〈自我の詩〉の主張は、歌は個人のものではないとした古今集以来の短歌観とはっきり対立するものであった。歌は〈詠み人しらず〉でいいとする古今集の伝統を否定して、歌は作者名とセ ットになって成立すると言っているわけである。(中略)しかし、実際問題として、〈歌枕〉〈暦〉〈題詠〉を〈現実の場所〉〈現実の日付〉〈実体験〉に実践的に移行させるには想像以上の力技が求められた。
引用②「歌よみに与ふる書」は、千年間継続した古今集以来の勅撰集の美学を激しく否定、破壊しようとするものであった。子規が否定したのは、古今集以来の短歌 の〈抽象性〉〈観念性〉〈普遍性〉であった。子規はこれらを〈嘘〉〈理屈〉〈空想〉であるとして否定した。/前にも述べたように、〈歌枕〉〈暦〉〈題詠〉が、歌の〈抽象性〉〈観念性〉〈普遍性〉を獲得するために選ばれた主題であり、編み出された装置であったわけだが、子規はそれを〈現実〉〈個人〉〈事実の具体性〉に置きかえることを主張した。そして、それらの否定、主張をつらぬくキーワードが〈写生〉であった。

 「詩歌の変革」は、近世和歌から近代短歌への移行を明確に位置付けた論である。この移行はパラダイムシフトであり、後戻りのできないものであった。近代短歌から現代短歌への移行が明確に線引きできないのとは異なり、この時期、千年以上続いた勅撰集の美意識と価値観に訣別することによって、近世和歌は近代短歌に生まれ変わった。佐佐木のこの論は、変革のポイントを分かりやすく解説しており、近代短歌の延長線上にいる、現代の歌人である私たちがぜひ読むべき論と考える。
 佐佐木はまず、「〈歌枕〉という観念上の空間」「〈暦〉という抽象化された時間」「〈題詠〉という個人を離陸するための制度」によって、古典和歌は〈詠み人しらず〉の歌を志向したと位置付ける。それを変えたものの代表として、与謝野鉄幹の詩歌集『東西南北』の自序にある「小生の詩は、即ち小生の詩に御座候ふ」という一文を挙げる。引用①はそれに続く部分である。現代の歌人にとっては歌が「自我の詩」であることの方がむしろ暗黙の了解だが、それが近世から近代への移行時に獲得されたものだということが、佐佐木の文から分かる。歌と作者をセットで捉える考え方はこの時期に始まったのだ。
 その立役者として与謝野鉄幹が登場するのだが、佐佐木の論ではそれに先立つ「和歌改良論」についても述べられ、鉄幹という人物が単独で急に現れた訳ではないことを示す。しかし鉄幹の功績は他にもある。佐佐木は鉄幹が、江戸期以来の門人組織から、近代的な結社組織へと作歌の場を変えたことも指摘する。門人組織は紹介者が必要で、宗匠からの対面指導を基本とした。それを、会費さえ払えば紹介者は不要で、郵便制度を利用して雑誌に歌を発表できる結社組織へと変えたのだ。こうした、誰でも参加できる場への転換は、大変化であった。
 引用②は近代短歌成立のもう一人の立役者、正岡子規についての文である。子規は俳句革新後、短歌革新に着手した。子規は鉄幹より緻密で周到な論によって、和歌から短歌への移行を押し進めた。『歌よみに与ふる書』は激しい論調と明快な論理で古典和歌の美学を論破した文だが、そのどこに革新性があったのか、それが近現代短歌の基調になるのはどの点かを佐佐木は解き明かす。いかにして〈歌枕〉〈暦〉〈題詠〉から〈現実〉〈個人〉〈事実の具体性〉へと転換するか。キーワードは「写生」であり、佐佐木は、子規が写生を通して成し遂げてきたことを、作品に即して具体的に確認している。
 他に与謝野晶子について述べた部分もあるが、大きくは鉄幹・子規の功績についての論である。この二人の活躍が、近世和歌から近代短歌への変革を大きく進めたと位置付けているのだ。この考え方は現代短歌の評論の前提となっていると言っていいだろう。
 この論を読むと、いかに鉄幹・子規の価値観が近現代の短歌に大きな影響を与えたかが再認識される。ただし、彼らの論は多分に戦略的で、特に子規は当時の御歌所派に繋がる近世和歌や『古今和歌集』を過小評価した。現在の目からもう少し近世に目配りをしたいとも思う。

『歌壇』2021.11.  公開記事

佐佐木幸綱「詩歌の変革」『岩波講座日本文学史第11巻 変革期の文学Ⅲ』1996・ 『佐佐木幸綱の世界5 近代短歌論』河出書房新社 1998 の二冊に収録。