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河野裕子『桜森』9

ほのぐらき桜の下にひき入れて見上げし男の半顔見えぬ 
 ついに人は来た。桜の森で待ち続けていた主体のもとに。ほの暗い闇の中、桜の下に引き入れて男を見上げる。しかし闇のせいか男の顔は半顔しか見えない。主体には見えない半分の顔を持ちながら、人は桜の下に入って来たのだ。

くちづけて奪はむ殺(と)らむ抱きたる長身撓ひてあまりに若し 
 桜の下での激しい口づけ。主体は口づけることによって相手の精神を奪い取ってしまいたいとまで思っている。抱きしめた相手は長身を撓わせるようにして抱き返してくる。その身体は瑞々しくあまりにも若い。

ひつたりと唇もて唇を覆ふとき肉なる唇は熱持ちてをり 
 ひったりと重ね合わせられる唇。主体の唇が相手の唇を覆う。唇はお互いの肉体そのものだ。自分の熱を、相手の熱を感じながら唇を重ねる。それは身体を重ねることと等価であり、やがてそれへと高まっていく。

今叫けばば今駆け出さば桜森どうと吹雪きて吾を飲み込まむ 
 性愛のギリギリの頂点は、満開になりつつまだ散らない桜の花が醸し出す緊張感に似ている。叫んだり駆け出したりしてその均衡を崩せば、桜はどっと吹雪くように散り「吾」を飲み込む。分かっているから今を保っている。

必ずや吾を喰ひつくす男なり眼をあけしまま喰はれてやらむ 
 今愛し合っているこの男は、必ず「吾」を食い尽くす男だ。それを承知で愛し合う。熱情に浮かされるのではなく、眼を開けたまま、はっきりと自覚しながら、相手に食われようとしているのだ。

百年を待つに来ぬ鬼もしや百年われを待ちゐる鬼にあらずや 
 人は来た。その人、男と愛し合った。しかしその男は「われ」が百年待っていた鬼では無かった。鬼はどこにいるのか、なぜ来ないのか。もしかしたら鬼はどこかで同じように「われ」を百年待っているのかもしれない。

すれちがひしかの一瞬を限りとしとはに喪ひし鬼かもしれぬ 
 あの時、すれ違って振り向いたお互いの目の中に火が揺れるのを見た時、あれがただ一度の出会いだったのかも知れない。もう永遠に会えないのかも知れない。情欲が燃え上がった一瞬、一生に一度の出会いだったのだ。

只の一人の男か汝れも 踞り待ちゐるゆゑに愚かに惑ふ 
 「汝れ」も只の一人の男に過ぎないのか。「汝れ」と愛し合うことはできるのだが、今も踞(せくぐま)って鬼を待っているから、「汝れ」が主体にとって鬼か、違うのか惑う。鬼は主体の心の中にしかいないのかもしれない。

    河野裕子『桜森』中の連作「花」42首中16首を読んだ。女性の性愛を物狂おしく描いた連作だ。これが1980年(昭和55年)に書かれたというのもすごいことだ。それに先立つ『ひるがほ』の「菜の花」はその原型とも言える。

河野裕子『ひるがほ』21|川本千栄|note

河野裕子『ひるがほ』22|川本千栄|note

河野裕子『ひるがほ』23|川本千栄|note

2022.2.22. ~23.Twitterより編集再掲