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『えいしょ』2020.11.

普通に普通で行けばいいよね 座ってるひと見て、うん、普通に乗り込んだ 平出奔 八七五六九と取った。長いがすんなり短歌と認識できる。一つ目の普通は特別ではなくの、二つ目は普通電車の意。三つ目はどちらとも取れる。「うん」が今まさに行動している臨場感を保証する。

雨が降るって知っててでも手ぶらで行けば濡れるかもしれない感がよかった 平出奔 雨が降る/って知っててでも/手ぶらで行けば/濡れるかもしれない/感がよかった 五八七九七 三句を早口で読む以外は自然に読める。二句の促音と「て」音、「~感」という今現在の口語が新鮮だ。

靴下と靴ごしに踏む階段の固くて音がして、四角い 御殿山みなみ 全部当たり前のことだが、こうして韻律に乗せて言われると、不思議で不気味な感じすらする。自分が靴下と靴ごしに何かに触れていると普段は思わずに歩いている。自覚した途端、階段の形状や性質まで感じ取ってしまう。

昨日から落ちていたけど拾うのに今までかかってしまった輪ゴム 中本速 ちょっとかがんで拾うだけでいいし、拾おうと思いつつ、今までかかってしまった。そういうことってよくあると思った。初句二句の長い言い方が合っている。本当に輪ゴムのことかも知れないし、喩かも知れない。

すむこともすまないこともいつか慣れ許さないまま忘れるだろう のつちえこ それで済むとか済まないとかいうのは自分の気持ちの問題で、相手が行動しない限り、現状は変わらない。そして変わらない現状に慣れてしまう。許す必要は無い。でも忘れるのは自分のために必要なことだ。

腑分けするやうにあなたが真夜中の冷蔵庫から取り出した、桃 有村桔梗 中に入っている物ごとに、冷蔵庫を解剖する。そんな風にあなたが真夜中の冷蔵庫から桃を取り出した。単純な動作が初句の比喩で不気味なものになる。桃が人間の臓器に近い印象を帯びて、結句で視線を集める。

2022.7.27.~28. Twitterより編集再掲