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『短歌研究』2022年2月号(2)

今の陽が落ちれば明日が来るだけの繰り返しでも祝う迎春 カン・ハンナ 大晦日が場面。今日の陽が沈めば明日が来るだけ。自然現象としては何も変わらないが、人間が決めた暦として明日から新年なのだ。当然のことのようでいて、このように詠われると、はっと気づく。

海老の眼がてらてら濡れる思い出に肉体はないから殺せない 田村穂隆 二句切れ、と同時に連体形として微妙に三句にかかっているようにも読める。確かに海老の眼は濡れて光っているようだ。三句以下の表現が切れ味鋭い。海老の立派な頭と尻すぼみな体形が映像として重なる。
 もう忘れたいが、思い出に実体は無い。自分の記憶の中に存在するだけなので、消し去る方法は無いのだ。海老の眼が見つめてくるように、記憶の中の思い出も主体を見つめている。

⑭吉川宏志「1970年代短歌史」〈岡井の批評の実験には、もう一つ重要な意味があったのではないか。(…)短歌ではむしろ、作者の無意識が、作品の持っている力を大きく左右する。(…)岡井は作者の意図していないものを読む、という方法を模索していたのである。それは「構造主義」と近い考え方である。『茂吉の歌私記』には、構造主義を生み出したレヴィ・ストロースについて言及した部分がある。〉岡井隆の茂吉批評にニュー・クリティシズム、構造主義の影響を見る。構造主義は人間の主体性を疑い、それが短歌の場合、私性を打ち消すことに繋がる。
 〈六〇年代以降の社会運動に参加する主体性を重視する歌から、時代はじょじょに変化しつつあった。それはやげて、八〇年代以降の短歌の〈私性〉解体の動きにつながっていくことになる。〉その途中経過の七〇年代短歌。岡井のインプットアウトプットを具体的に分析することから短歌史を見渡している。

⑮吉川宏志「1970年代短歌史」1972年「週刊朝日」、1973年角川「短歌」の記事を引き、岡井の復活の機運が高まっていく、と述べている。〈しかし、それでは捨てられた妻や子はどうなるのか。そこに割り切れなさを感じた女性歌人たちは存在した。〉と河野愛子と原田薫子を挙げる。
 やはり当時は批判があったのだな。男性歌人はどう思っていたのだろう?〈岡井の文章だけ読むと、原田が非常に同情的だった印象を受けるが、実際はもっと複雑な感情があったように思われる。岡井がなし崩し的に歌壇に復帰したことに、原田は裏切られたような思いを抱いていたのだろう。〉
 ここも複雑だなあ。①で岡井の短歌評論の実績を掘り下げ、②でしかし実際の人物像は、という構成がどちらもカバーしていて読ませる。  同号の斉藤斎藤の連作の詞書に「捨てたきゃ捨ててもよいけども、いつまでもうじうじ歌に詠んでんじゃねえぞ。そういうとこだよ、岡井。」とあり興味を引かれた。

⑯山崎聡子「短歌時評」歌壇名簿の廃止は妥当としながら、全面的に「善」とは思えないと述べる。〈私自身がこれまでに歌壇名簿を元に同人誌などの贈呈を行った経験があり、異なる世代と繋がる手段として「贈呈文化」の恩恵をおおいに受けた感覚があることも関係があるように思う。〉
 〈歌壇名簿の廃止は贈呈のしにくさによる更なる読者の棲み分けにつながりかねないし、今後、書店やインターネット書店などの流通網にのる歌集とそうでない歌集でアクセスのしやすさに大きな違いが生まれることも考えられるだろう。〉歌集の入手には「贈呈」と「流通」の二つのルートがある。
 少し前までは贈呈がほぼ全てで、流通し書店で販売されるのは一握りだった。最近大きく変わった。今は贈呈と流通が共存だが、贈呈が難しくなったら、山崎の危惧が現実になるだろう。流通だけ見ても、時流に乗る・乗らない、アピールが上手・下手で差異が出て来るだろう。それはそれで辛い状況だ。

2022.3.15.~16.Twitterより編集再掲